私の勝手な思い込みかもしれませんが、凶悪な犯罪者が教師の子どもであるというケースがけっこうあります。欧米では凶悪な犯罪者が牧師の子であるというケースがよくあります。つまり、職業的に人を教え導くことと、親として子どもを愛することの違いが正しく認識されていないことから問題が生じているのではないかと私は考えているのです。
そういうことを考えさせられるのが、次の人生相談です。
 
「教師のノウハウが役立たない」相談者 教員40代 
 教職25年を迎えた教員夫婦です。たくさんの児童・生徒と接してきた経験に基づいて、「その子に応じた指導で、子どもの力を伸ばせる」ノウハウは確立できた、と自負しています。

 一人息子が保育園の年少の頃、ダンスがみんなと同じに踊れなくても、「3月生まれだから大器晩成だ」と、おうように構えていました。しかし、小学校入学後も「大器晩成」のままだった息子を見て、このままではいけないと思い、夫婦でお互いのノウハウを最大限に活用し、子育てをしてきました。

 そのかいあって息子は中学校では人望もあり、「あとは勉強をちょっとがんばるだけ」になりました。しかし、受験を1年後に控えた中3になった今も肝心の勉強に身が入りません。本人も事態は十分に認識しているはずですが、意欲は続きません。

 「その子に応じた指導で力が伸ばせる」と私たちが自負してきたものは何だったのか、疑問符がついたまま仕事を続けるのはつらすぎます。職業人としてのアイデンティティーを揺るがす事態です。退職後に夫婦で教育ノウハウ本「これでわが子もスーパースター」を出版しようという計画も水の泡。「子育てってそんなもんですよ」という言葉でお茶を濁したくありません。よその子にはうまくいっているのに、なぜ肝心なわが子でうまくいかないのでしょう(
朝日新聞「悩みのるつぼ」2010731)
 
この相談の回答者は経済学者の金子勝さんです。その回答を要約すると、子どもは親の道具ではない、だいじなのは「自分で選んだ」という自覚を持つこと、中学校で人望があるというのはすばらしいことで、そろそろ教師のノウハウを捨てて1人の人格として息子さんと接してあげてください、というようなものです。
 
この回答で基本的にいいと思うのですが、ただ、「よその子にはうまくいっているのに、なぜ肝心なわが子でうまくいかないのでしょう」という相談者の疑問にはっきりとは答えていません。そこで、その部分について私が答えてみます。
 
まず私は、この夫婦が教師としての能力にたいへんな自信を持っていることに少々驚いてしまいました。今どきこういう教師は少ないのではないでしょうか。
しかし、そんな自信を持ちながら、一人息子に対してその教師としてのノウハウは最初封印しています。おそらく教師としての役割と親としての役割が違うことを直観的に理解していたからでしょう。しかし、深くは理解していなかったために、結局封印を解除してしまいました。
もちろんこれは間違いです。今のところ勉強の意欲がないだけで、ほかに問題はないようですが、これから問題が出てくる可能性は大です(中学校で人望があるというのはすばらしいことですが、学級委員などに選ばれているだけのことをこの両親はそう表現しているのかもしれません)
 
私が言いたいのは、教育と愛情は別物だということです。一般には、親が教育熱心なのは子どもに愛情があるからだと考えられていますが、これは誤解です。
たとえば教師は生徒を教育しますが、これは必ずしも愛情があるからではなく、仕事だからです。予備校の教師などにはすばらしく教え上手の人がいますが、これも別に予備校生に愛情を持っているからではありません。
子どもに稽古ごとをいっぱいさせている親がいます。費用もかかりますから、それだけ愛情があるのだろうと思われるのかもしれません。しかし、子どもが将来才能を発揮すれば親の自慢になるという利己的な動機からしている場合もあります。
 
親の子どもに対する愛情は、「かわいい」「ふれあうのが楽しい」という感情に帰結します。そして、子どもはそういう親とふれあうことで、自己肯定感を得ます。この自己肯定感が人格の土台になるわけです。
一方、教育のノウハウというのは、おそらく子どもに対し、今の自分はだめだからもっとがんばらねばと思わせることではないかと思われます。これは、自己肯定感を土台に持っている子どもに対してなら問題ありませんが、そうでない子に対しては自己否定の感情を植え付けることになってしまいます。
つまり、親は子どもの人格の土台をつくり、教師はその上でさらなる向上を目指させるという役割分担になっているのが望ましいわけです。
 
相談者の教員夫婦は、土台づくりをおろそかにしてしまった可能性があります。
このままでは勉強のできない子どもに失望してしまい、それがさらに子どもに自己否定の感情を植え付けることになりそうです。
どうすればいいかというのは、簡単なことです。「勉強なんかできなくてもいいよ」という態度で子どもに接することです。これによって自己肯定感が生まれるはずです。
 
その結果、勉強ができない子どもになったらどうすればいいかって? 親ならそれも肯定できるはずです。