教育問題について考えるのがむずかしいのは、その背後に親子関係の問題が隠れていることが多いからです。この人生相談はその典型的なものといえます。
 
 
「中学受験の失敗が尾を引いて」相談者 中学三年生女子
 中学3年の女子です。

 中学に入ってからというもの、何をやってもうまくいきません。運動部に入ったものの、ついて行けず退部、一生懸命勉強してもちっとも成績はあがりません。そもそもの原因は中学受験だと思うのです。

 私は小学生時代、ある難関校A校に入るよう、親に言われて必死で勉強しました。でも、私にはひそかに憧れていたB校という学校がありました。

 しかし、その学校は親の反対にあって、しかたなくあきらめました。B校への未練を残しながらも、A校に入ってほめられたい一心で勉強したのですが、不合格になりました。

 そしてギリギリの前日に出願してようやく決まったのが今の学校です。A校ほどではありませんが、なかなかの進学校だったので、両親はとても喜びました。けれど私には未練があり、捨てきれない思いがありました。

 もしあのとき、B校に行きたいともっとちゃんと言って、受けていたら……。もしそれで落ちたとしても、まだ納得できたと思うのです。

 それからというもの、私は何をやってもうまくいきません。未練を残したままがんばったって、しょせんはダメだと思ってしまうのです。どうしたら私は心の底から前向きになり、中高生活を一生懸命送ることができるのでしょうか。(朝日新聞「悩みのるつぼ」20111015)
 
 
この相談の回答者は、作家の車谷長吉さんです。車谷さんは壮絶な人生を生きてこられた方で、人生相談の回答もいつも人生を達観した境地から書かれているかのようで、感心させられます。しかし、今回の回答は、自分自身の体験をいろいろ語ったあと、こうまとめておられます。
挫折をすることは大いに結構です。挫折しなさい、と勧めてもいいくらいです。勝利者街道まっしぐらの人の得意顔より、挫折を知って、苦しむ人の気持ちがわかる、すこし憂い顔の人のほうが人間として味があります。味のある大人になってください」
 
これは相談者の悩みの核心をつかんでいない回答のような気がします。
では、相談者の悩みの核心とはなんでしょうか。それを書いてみます。
 
 
まず誰でも疑問に思うのは、相談者は中学3年生になっているにもかかわらず、中学入学時のことにいまだにこだわっているのはなぜかということでしょう。中学1年生ならまだやり直すという道もあったかもしれませんが、今となってはどうしようもないですし、高校進学について考えたほうがいい時期です。
しかし、相談者にはそれなりの論理があるはずです。
私が思うに、相談者は高校入学に際しても親に難関校への進学を強いられ、自分の希望する学校へは行かせてもらえないのではないかという心配があるのでしょう。現にそういう話になっているかもしれません。
中学入学のとき娘の希望を聞き入れなかった親ですから、高校入学のときも当然同じ態度をとるでしょう。
ただ、ここで相談者の悩みが生きてきます。
中学入学のときは、相談者は自分の希望を訴えても、その言葉にはあまり説得力がなかったでしょう。しかし、高校入試のときは、中学3年間の経験を踏まえて言えることがあります。
「私は自分の希望するB校を受験させてもらえなかったから、ずっとその未練があって、中学3年間、何をやってもうまくいかず、楽しくなかった。高校は自分の希望する学校を受験させてほしい」
こう言えば、親の心を動かせるかもしれません。
 
ですから、私がこの人生相談に答えるとすれば、「中学受験のときの失敗を繰り返さないためにも、あなたは今どんなにつまらない中学生活を送っているかを親に訴えて、高校受験では自分の希望を聞いてもらうようにしなさい。高校生活がうまくいけば、今の悩みはどうでもいいことになりますよ」といったことになります。
 
もっとも、親が希望を聞いてくれるかどうかはわかりません。
進学という人生の重大事に子どもの希望を聞かない親はいっぱいいます。しかも、それが問題だとはほとんど認識されていません。だから、車谷さんもその問題をスルーしてしまったのでしょう。
子どもの希望を聞かない親というのは、子どもを一方的にかわいがるだけの対象と見ていて、自分の意志を持った存在とは見ていないのでしょう。あるいは、競走馬の馬主のように、子どもを人生レースに出走させて、勝利する喜びを味わいたいと思っているのかもしれません。
世の中にはいろいろな問題がありますが、こうした親子関係のあり方は最大級の問題だと思います。