ヱビスビールのCMで役所広司さんが「召し上がろう」と言っているのが気になります。「召し上がれ」ならいいですが、「召し上がろう」では自分も「召し上がる」ことになって、自分に敬語を使っていることになります。これはどう考えても間違った日本語でしょう。
しかし、CMをつくっているスタッフや関係者が誰もこの言葉のおかしさに気づかないとはなかなか考えにくいことです。普通の言葉づかいでは聞き流されてしまうので、印象に残るように、わざと耳ざわりの悪い言葉を使っているのでしょうか。もしそうだとしても、それは日本語の乱れにつながることですから、やめてほしいものです。
 
「日本語の乱れ」なんていう常套句を使ってしまいましたが、私はいわゆる日本語の乱れはぜんぜん気になりません。というのは、日本語の乱れというのは、主に若い世代の、草の根から生じる変化であって、それは自然なものだと思うからです。
 
そもそも「乱れ」というのはバラバラになって混乱することをいうのですが、たとえば「見れる」「食べれる」などの“ら抜き言葉”がふえているのは一方向への整然とした変化ですから、これを「乱れ」というのは、そちらのほうが日本語を乱していることになります。
 
もっとも、言葉が通じないのでは困ったことです。たとえば「空気が読めない」を「KY」というのは、知らないと通じません。しかし、若い人も相手を見て話すでしょうから、話が通じなくて困るということは現実にはほとんどないのではないでしょうか。
それに、「KY」という言葉を知ると、若い人は空気を読むということを気にしていることがわかり、少しは世の中の変化がわかることになります。
 
また、このごろの若い女性は、やたらと「かわいい」を連発します。赤ちゃんを見て「かわいい」だけではなく、服を見ても「かわいい」、アクセサリーを見ても「かわいい」、お菓子を見ても「かわいい」です。それに、「チョー」という強調の形容詞もよく使われます。ですから、なにを見ても「チョーかわいい」ということになるわけです。あまりにも単純な言葉づかいだと怒る人もいるかもしれませんが、昔はなにを見ても「いとおかし」と書いていた随筆家がいたわけで、それと同じようなものです。
自分の気持ちを表現するのに複雑な言葉が必要なのは屈折した人です。単純な言葉で間に合うのは人間がまともだということで、けっこうなことです。
 
世の中の変化をおもしろがっていると、「日本語の乱れ」という言葉は使わなくていいものだと思います。
 
もっとも、ヱビスビールのCMの「召し上がろう」は、世の中の変化によって出てきた表現ではないはずです。こういうのは「日本語の乱れ」につながるだけですから、やめてほしいものです。