敬語はむずかしい。だからこそ、敬語をどれだけ正しく使えるかで、その人の知性とか教養とか人生体験とかがはかれたりします。
しかし、世の中には誤解している人がいて、子どもや若い人に敬語の使い方を教えればよい人間になると思っています。
現実には、敬語がちゃんと使えるからといってよい人とは限りません。敬語を使いながら悪いことをする人はいくらでもいます。敬語を使えることと人のよし悪しとは別です。
こうした誤解が生じるのは「敬語」というネーミングにあると思われます。
つまり、多くの人は敬語は尊敬する人に対して使うものだと思っているのです。ですから、敬語をよく使う人は尊敬の気持ちが多くある人で、そういう人はよい人だろうというふうに考えてしまうのでしょう。
しかし、敬語は必ずしも尊敬する人に対して使うものではありません。
 
たとえば、会社の上司にくだらない人間がいて、内心軽蔑しているとします。そうすると、「あの上司は尊敬してないから、あいつには敬語は使わない」なんていうことがあるでしょうか。あるわけないですよね。
つまり、敬語と尊敬の気持ちは関係ないのです。
誰でもいちいちあの人は尊敬する、この人は尊敬しないと判断しながら敬語を使っているなんていうことはありません。
 
では、どういう基準で敬語を使うか使わないかを判断しているかというと、自分より社会的立場が上か下かで判断しているのです。会社の役職、年齢、職業、肩書きなどが判断の基準です。
ときには相手が年上か年下か、肩書きが上か下かわからないので、どういう言葉づかいをすればよいかわからなくて困ったりします。
 
ですから、敬語は正しくは「序列語」というべきなのです。
こう表現すれば名前と実体が一致するので、誤解することもなくなります。
現実には、社会的地位が上の人間はそれなりに尊敬するべきところを持っている場合が多いので、敬語という言葉にそれほど違和感を覚えることはないでしょうが、敬語は序列語であるという認識に立つと、いろんなことが見えてきます。
 
敬語すなわち序列語がむずかしくなったのは、もちろん社会が複雑になったからです。会社の役職もいっぱいありますし、職業もいっぱいあります。医者や弁護士にはそれだけで敬語を使わなければなりません。年齢は上だが役職は下だという場合もあります。また、会社の内と外という使い分けもあります。社外の人相手には、自社の上司に対する敬語は使いません。
こうして序列語がむずかしくなったのは、社会的な損失であると思います。敬語の使い方に頭を使うために、仕事など生産的なことがおろそかになっているに違いないからです。
 
また、過剰敬語という問題もあります。たとえば、政治家がよく使うのですが、「何々させていただく」という表現があります。別にこちらがさせているわけでもないのに「させていただく」というのは少しへんでもありますし、「何々します」と比べて文字数が多い分、やはり社会的損失を招いているはずです。商店などで使われる敬語もどんどん過剰になっています。
 
ですから、これからは若い人に敬語を教える努力をするよりも、世の中で使われている敬語をへらす努力をしたほうがいいでしょう。