中国で、ひき逃げされて倒れている2歳女児の横を18人の市民が素通りしていった事件がいまだに問題になり、道徳心の回復を訴える声が高まっているそうです。
しかし、「道徳心の回復」などという言葉を使っているようでは、なにもわかっていないということであり、いい結果は出てこないでしょう。
 
 
「毎日新聞」118()231分配信
「見死不救(死にそうな人を助けない)行為を罰すべきだ」。中国広東省仏山で先月13日、ひき逃げされた2歳女児の横を市民18人が素通りし、女児が死亡した事件を受け、中国社会で道徳心の回復を訴える声が高まってきた。発展一辺倒でまい進する一方、鉄道事故などの対応をめぐり国際社会から「人命軽視」と批判される中国。小さな命を見捨てた今回の事件をきっかけに、若者を中心に「薄情社会からの転換」を求める声が上がり始めている。【仏山で隅俊之】
 
 
もう何度も報道されているので、この事件のことは多くの方がご存じでしょうが、私が注目するのは、女児を助けようとした19人目の人が廃品回収業の女性だったということです。おそらくあまり教育も受けていない、社会的な地位の低い人でしょう。
このことをちゃんと認識しないといけません。
 
「道徳心」という言葉は「人助けをする心」という意味で使われているのでしょう。しかし、人助けをする心というのは、人間であれば基本的に備わっている素朴な心です。ですから、教養とか社会的地位は関係ありません。いや、むしろ教養や社会的地位とは相反するものです。
 
以前、あるテレビ番組で、どの国の人が親切かを調査するという企画があって、紙袋にスーパーで買った商品を詰めて道を歩いていると、紙袋が破れてオレンジなどがゴロゴロと路上に散乱し、周りの人が拾ってくれるかどうかを調べるというのがありました。たいていの国では人が集まってきて、拾ってくれるのですが、ただフランスのパリでは周りの誰も拾ってくれないのです。
このひとつだけですべてを判断してはいけませんが、概して文明国の人より途上国の人のほうが親切です。
私たちでも、都会人と田舎の人とどちらが親切かというと、田舎の人のほうが親切だと思うでしょう。
文明化が進むと、人助けをするという素朴な心が失われていきます。
おそらくあの廃品回収業の女性は、普通の家庭で育ち、普通の人間関係の中で生きてきたので、普通の親切心を持っていたのです。
しかし、今中国は急速に発展し、そうした普通の家庭や普通の人間関係が失われ、その結果として親切心も失われてきたのでしょう。
いや、もともと中国は古くからの文明国ですから、昔から親切心は少なかったかもしれません。そういう意味ではフランス以上であってもおかしくありません。
 
「毎日新聞」の記事によると、「見死不救(死にそうな人を助けない)行為を罰すべきだ」という声が上がっているようですが、人を罰するという行為は親切心からもっとも遠いものですから、そんなやり方では親切心は回復されません。もちろん道徳教育によっても親切心は育ちません(親切心のことを道徳心と表現すると混乱してしまいます。道徳心という言葉は使うべきではないでしょう)
 
では、どうすればいいかというと、家庭内の人間関係を普通のものにすればいいのです。そうすれば普通に親切心を持った人間が育ちます。
しかし、こうしたことを指摘する人はまずいないので、実行されることはないでしょう。現実はむしろ逆に、多くの家庭で子どもを叱咤激励し、競争社会を勝ち抜くべく勉強を強要しています。こうした家庭で親切心が育たないのは当然のことです。