私が日本の政治を見るときのキーワードは「官僚独裁」です。この言葉に出会ってから、政治の見方ががらりと変わりました。
「官僚独裁」という言葉は、俳優で元参議院議員の中村敦夫さんの「この国の八百長を見つけたり」(光文社)という本にありました。この本は1999年の出版ですが、私はその当時に読んだので、それからの政治の世界の変化がよくわかりました。
「官僚独裁」という言葉が出てくるところを引用してみます。
 
 
  日本では、はっきり言って首相は誰でもいいのです。ここだけを見ても、政治家が権力を持っていないことが簡単にわかる。誰が首相になろうと、何党が政権与党になろうと、日本の政治は粛々とあすもあさっても変わりなく執り行なわれます。
  では、いったい誰がこの国の本当の権力者であるのか。言わずと知れたことですが、官僚たちがこの国を動かしているのです。つまり主権在民ではなくて、「主権在官」で、この国は運営されているのです。官僚たちの天国であるということは、それは社会主義体制の国家システムとほとんどおなじであるということになります。
  私たちの国がそういうシステム、民主主義とは別のシステム、主権在民ではなくて主権在官のシステムで動いているという自覚がないと、すべての問題の糸口が見つからないということになります。
  それを多くの国民が自覚すれば、日本が病理的に抱える問題や課題の本質が理解でき、解決に向かう道筋が見えるわけです。
  この国の病根は官僚独裁システムであるということが明確になるからです。国会議員となった私は、そういうシステムに寄りかかり、あたかも自分が権力者であるかのように振る舞っている政治家を相手に、奮闘しているということになります。まずは、彼らの分厚い面の皮を容赦なく剥いで、国民の前に見えるようにしていきたい。そうすることで、その裏にある官僚との腐れ縁もくっきりと見えてくると思います。
 
 
無所属で参院選に当選した中村さんは法務委員会に所属します。
この本によると、日本は裁判官の数が足りなくて、1人年間約150件もかかえているので、過労や手抜きが起こっているというのですが、にもかかわらず、厚生省や運輸省などの他省庁に出向している裁判官も多数いるそうです。出向先でなにをしているかというと、専門知識を生かして訴訟対策をやっているのです。各省庁に対する行政訴訟が急増しているのに、その省庁で裁判官が訴訟対策をやっていたのでは、裁判の中立・公正が保てるわけがありません。
中村さんは法務委員会で、これは三権分立に反するから憲法違反だと追及すると、委員会の空気は氷のように固まり、みんなショックを受けていたそうです。つまりこれは長い間タブーだったことなのです。
裁判官が行政側に入り込んでいるのですから、住民が官庁や自治体を訴えてもほとんど負けてしまいます。下級審ではけっこう住民側が勝訴することもあるのですが、上に行くほどくつがえり、最高裁での住民側の勝訴率はわずか1%だそうです。
 
この本にはこうしたことがいろいろ書いてあります。そして、政治家はこうした官僚組織に乗っかっているだけで、官僚たちは大臣を「鏡餅のお飾りミカン」といってバカにしているそうです。
 
ここ数年の政治の世界の大きなテーマは「政治主導」でした。これは「官僚独裁」の実態を知っていれば、自然と理解できることです。とくに小沢一郎さんは事務次官会議廃止、内閣法制局長官の国会答弁禁止など「政治主導」を強力に主張してきました(だから検察に攻撃されるわけです)
民主党は政権を取った最初は「政治主導」を実現しようとしましたが、今はほとんどその看板をおろしてしまいました。「官僚独裁」の壁を崩すことはできなかったのです。
 
 
ここで問題になるのはマスコミの役割です。
中村さんは議員時代、「公共事業チェック議員の会」の会長となり、ダム工事視察などをして、公共事業のむだを追及する活動もしていました。普通、マスコミはこうしたことにすぐ食いつくものです。「紋次郎、公共事業のムダを斬る」などといった見出しがすぐに思い浮かびます。
しかし、マスコミは中村議員の活動をほとんど報道しませんでした。そのこともあって、中村さんは次の選挙で落選してしまいました。
 
このとき私は、マスコミは官僚の側にいるのだなと思いました。
マスコミは官僚からの情報に依存して仕事をしていますし、学歴エリートとしての仲間意識もあります。
ですから、「官僚独裁」というより「官僚とマスコミの独裁」といったほうがいいかもしれません。
「政治主導」に関しても、マスコミは「政治家は官僚を使いこなせ」と書きますが、「官僚は政治家に従え」とは決して書きません。
マスコミにおいては、政治家と官僚の関係がうまくいかなかったから、それはすべて官僚を使いこなせない政治家のせいなのです。
 
マスコミは「官僚独裁」の実態を書かないのはもちろん、官僚の動きすら書きません。事務次官会議が復活し、毎週金曜日に開かれているそうですが、そのことも、そこでなにが議論されたのかも報道されません。官僚が国を動かしているのに、官僚の姿が見えないのです。
そのため国民はもっぱら政治家を批判し、そのため次々に首相の首がすげ替えられていきます。
 
私はつねに「『官僚独裁』とそれを補佐するマスコミ」ということを念頭に置いて、政治を見ることにしています。