経済学に「限界効用理論」というのがあります。私はこれがどういうことかわかりませんでした。経済学の入門書を読んでもわからないし、経済学部の友人に聞いてもわからない。あるとき、NHK教育テレビでアニメを使って説明しているのをたまたま見る機会があり、今度こそわかるかと思って集中して見ましたが、やはりわかりませんでした。
 
私は、モノの価値というものを経済学はどう説明しているのかが知りたかったのです。マルクス主義経済学では労働価値説というのがあり、これが正しいかどうかは別として、考え方としてはわかります。それに対して、近代経済学では効用価値説というのがあるのですが、この「効用」というのがよくわからないのです。「効用」を理解するには「限界効用」を理解しなければならないのかと思ったのですが、結局「限界効用」もわからないということになってしまいました。
 
もっとも、こういうことはわからなくても困りません。今は市場というものが成立しているので、市場においてモノの価値が決定されるからです。そういう意味では、労働価値説でも効用価値説でもどっちでもいいということになります。
しかし、市場が成立する以前にもモノの価値はあったわけですから、私はそれが知りたかったわけです。
いろいろやってもわからないというのは、私の頭が悪いからだと思って諦めていましたが、やはり納得いかない思いが残ります。
 
ということで、今回ちょいと思いついて検索してみると、「限界効用」も「効用」もわかりました。そして、今までなぜわからなかったかもわかりました。私の問題意識が経済学とずれていたのです。
「限界効用」とはこのようなもののようです。
 
消費者が財を消費するときに得る欲望満足の度合いを効用という。しかし同じ1枚のパンの効用も、1枚目と2枚目とではその大きさは異なるであろう。通常は、1枚目のパンの効用よりも2枚目のそれのほうが小さく、さらに3枚目はもっと小さくなる傾向がある。このように、財の消費量が増加していくときの追加1単位当りの効用を限界効用といい、財の消費量の増加とともに限界効用がしだいに減少することを「限界効用逓減(ていげん)の法則」(または「ゴッセンの第一法則」)という。
(Yahoo!百科事典「限界効用」より)
 
 
なるほど、一枚目のパンより二枚目のパンの価値が小さいというのはよくわかりますし、それが法則化されているというのもわかりました。
しかし、私が知りたかったのは、一枚目のパンの価値はどうして決まるのかということなのです。そういう問題意識で経済学の入門書などを読んでいたので、ぜんぜんわからなかったのです。
 
一枚目のパンの価値について、経済学者はちゃんと論じているでしょうか。論じていないのではないかと思います。
文系の学問がだめなのはここです。いちばん根底のところをないがしろにしているのです。
 
一枚目のパンの価値を論じようとすると、人間はパンなしでは生きていけない存在、つまりただの動物であることを認めなければなりません。これは当たり前のことですが、とくに欧米の学者は認めたくないようです。そのため、経済学の根本のところがいい加減になってしまうのです。
 
たとえば、「水とダイヤモンドのパラドックス」といわれるものがあります。これも人間が動物であることをごまかしているので、よくわからない説明しかできていません。
 
価格の表す希少性は、効用とは区別すべき概念である[1]。伝統的には水とダイヤモンドを例として価値と価格のパラドックスを問題にしたアダム・スミスがいる。水はそれなしで人間が生きていけない程効用の大きなものであるが、豊富に供給されているためその限界効用(後述)は小さくなっており、市場価格は非常に安いものとなっている。一方、ダイヤモンドは単なる装身具であり、水に比べて効用は小さいが非常に希少であるため限界効用が大きく市場では高い価格で取引される。これが水のない砂漠であれば、人は容易に一杯の水のためにダイヤモンドを手放すであろう。水に希少性が出てきたのでダイヤモンドの限界効用を上回ってしまうためである。
(ウィキペディア「効用」より)
 
ウィキペディアにかみついてもしょうがないのですが、ウィキペディアがいちばんわかりやすく説明していたので、取り上げました。
 
砂漠の遭難者がコップ一杯の水のためにダイヤモンドを手放すというのはよくわかります。しかし、それは水に希少性があるからだけではありません。砂漠で希少性があるのは、ガソリンにしてもお米にしても同じです。しかし、ガソリンやお米のためにダイヤモンドを手放すことはありません(つけ加えれば、砂漠ではダイヤモンドの希少性も高まります。近くに宝石店がないので)
なぜ水のためにダイヤモンドを手放すのかといえば、水がなければ人間は生きていけないからです(ウィキペディアにも一応そのことは触れられていますが、市場価値を中心に論じているので、わかりにくい)。
 
つまり、モノの価値の根本には、「人間が生きていくために必要である」ということがあるのです。
ですから、空気、水、食べ物、衣服、住まいなどに価値があります。それらが満たされたときにダイヤモンドなどにも価値が出てくるのです。
ところが、経済学者は市場価値を基準に考えているようで、そのため私とかみ合わなかったのです。
 
これから経済学が真に科学といえる学問になるには、人間が生物であるという前提から組み立てていってもらわなければなりません。