子どもの嫌いな野菜といえば、今はピーマンが第一位で、第二位がセロリというところでしょうか。しかし、少し前まではニンジンと相場が決まっていました。そして、ニンジン嫌いの子どもは親からむりやりニンジンを食べさせられたものです。これは実は乃木希典将軍のせいでもあります。
 
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で、乃木将軍は愚将として描かれました。乃木が旅順要塞や二百三高地を攻めあぐねていたとき、児玉源太郎総参謀長が現地にきて乃木に代わって指揮をとると、たちまち二百三高地を攻め落としたというふうに描かれます。これはもちろん司馬遼太郎の原作がそうなっているのです。
 
司馬は「坂の上の雲」を書いたあと、乃木についてはまだ書きたいことがあったらしく、乃木の人物像だけを描いた「殉死」という小説を書きます。
「殉死」において司馬は乃木をひと言で「スタイリスト」と評します。つまり、人からどう見られているかだけを意識して生きている人間だということです。もちろん中身がないという意味でもあります。明治天皇崩御のときに殉死したのも、そうするのがカッコよかったからでしょう。
しかし、司馬は乃木がなぜそういう人間になったかまでは書いていません。ここがいちばん肝心のところなのですが。
 
人間が人格を形成するとき、いちばん重要なのは幼児期です。幼児期に人間としての基本的な部分が出来上がります。これは当たり前のことですが、司馬はなぜかそこをスルーします。
 
乃木希典の幼児期はかなり特異です。
Yahoo! JAPAN 知恵袋「人参づくしの食事を作った母は?」より引用します。
 
乃木大将が生まれたのは、あのペリー艦隊が日本にやってくる数年前、嘉永2年(1849)11月11日、江戸麻布日ヶ窪の長州藩の屋敷で生まれた。父は長州藩士の乃木十郎希次、母は常陸土浦藩士の長谷川金太夫の長女寿子で、生まれると「無人」と名づけられました。二人の男の子を亡くした両親が「今度こそは元気に育ってほしい」という願いを込めて、「無人」と命名したわけです。
 
 しかし、幼いときの無人は、両親の期待に反して、近所の子供達から「無人は泣き人」とからかわれるほど、体の弱い、泣き虫な子で、ガキ大将にいじめられた時は、妹のキネに助けてもらうような弱虫でした。「これではとても武士の家を継ぐことはできない」と考えた両親の厳しいしつけを受けました。
 
 悪いことやいくじのないことをしたら、びしびしと容赦なくしかる毎日でした。父は、無人を体の丈夫な立派な武士に育てることが一番の夢でした。このため、無人の着るものは、いつも木綿の粗末な服ばかりで、冬の寒い日でも足袋を履かせてもらえませんでした。少しでも寒がっていようものなら「そんな事で立派な武士になれるか」と父親の恐ろしい声が飛んできて、あたまからザブーンと冷たい水をかけられます。そして、雪の降る中をはだしのままで、荒っぽい剣道の寒稽古が何時間も続きます。夕食が終わると、いつもの赤穂四十七士の義士物語が始まります。無人を赤穂の義士のような人間にしたかったからです。無人も義士物語を聞くのが楽しみでした。
 
 こうした希次の厳しい育て方を、母寿子もまた武家の娘らしく、無人荷は甘い顔一つしないで、いつも夫の希次と一緒になって無人をきたえ、育てたのでした。無人が人参を嫌いだといえば、寿子は毎日人参のおかずを出して、無人は何でも食べられるようになりました。
 
 
次はウィキペディア「乃木希典」の項からの引用です。
 
父・希次は、こうした無人を極めて厳しく養育した。例えば、「寒い」と不平を口にした7歳の無人に対し、「よし。寒いなら、暖かくなるようにしてやる。」と述べ、無人を井戸端に連れて行き、冷水を浴びせたという。この挿話は、昭和初期の日本における国定教科書にも記載されていた。
 
なお、詳しい時期は不明だが左目を負傷し、これを失明した。一説にはある夏の日の朝、母の壽子が蚊帳を畳むため寝ている無人を起こそうとしたが、ぐずぐずして起きなかったので、「何をしている」と言い、畳みかけた蚊帳で無人の肩をぶった際、蚊帳の釣手の輪が左目にぶつかってしまったことが原因であるという。しかし乃木は、左目失明の原因を明らかにしたがらなかった。失明の経緯を明らかにすれば母の過失を明らかにすることになり、母も気にするだろうから他言したくない、と述べたという。
 
 
ここに描かれているのは、どう見ても幼児虐待です。
乃木希典は虚弱で、繊細な子なのですが、両親はそれを強い子にしようとむりやりの教育を行ったわけです。普通は父親がきびしくても、母親がやさしいものですが、乃木家では両親ともにきびしかったのです。そうした教育の結果、一応立派な軍人になりましたが、それは見かけだけです。中身はぜんぜん違うのです。司馬遼太郎はそれを「スタイリスト」と評したのでしょう。
乃木には文才がありました。本来は文士になるべき人間だったかもしれません。戦争の真っ最中に漢詩を詠んでいます。そんな時間があれば作戦を考えろと突っ込みたくなるところです。
 
ウィキペディアにあるように、寒いときに7歳の子に冷水を浴びせたという話が国定教科書に載っていたわけです。国を挙げて幼児虐待を奨励していたのです。
母親が好き嫌いをなくすために嫌いなものを3度3度の食事に出し続けたというのも国定教科書に載っていました。ニンジンとは書いてなかったのですが、乃木少年の嫌いなものがニンジンであったことは国民だれでもが知っていました。
そのため、どの家庭でも、子どもがニンジンが嫌いだというと、親はむりやりニンジンを食べさせなければならないと考え、ニンジンをめぐるバトルが繰り広げられました。ホウレン草や魚が嫌いな場合は、それほどのバトルにならなかったはずです。
 
ほんとうは軍人になるべきではなかったのに間違った教育によって軍人になってしまった乃木は、結局軍人としての無能のためにたくさんの部下をむだに戦死させました。
愚かな教育は、本人だけでなく周りも不幸にするという例です。