私は京都生まれで、今では東京に住んでいる期間のほうが長くなりましたが、それでも自分は京都人だという意識があります。
京都人からすれば、天皇が東京に移ってからの日本というのは本来の姿ではありません。少なくとも、明治以降のものを日本の伝統だと思ってありがたがっている人を見ると、それは違うだろうという気になります。
京都人の意識が正しいとは限りませんが、少なくとも京都人は日本の歴史を長いスパンで見ていることは間違いありません。
もちろん京都人がみな同じようなことを考えているわけではありませんし、とりわけ私の発想は特殊かもしれませんが、その発想の根底に京都人的なものがあるのは確かです。
 
明治維新以降、近代化したことによるよさはいっぱいあります。たとえば、衛生思想の普及と医学の進歩によって乳幼児の死亡率が大幅に低下したことひとつとってもすばらしいことです。しかし、近代社会が人間的な社会かといえば、そうではありません。むしろ近代以前の社会のほうが人間にとっては生きやすい社会ではなかったかと思われます。
 
一例をあげると、おとなと子どもの関係があります。学校制度や近代教育思想がなかったころの日本において、おとなと子どもの関係はきわめて幸福なものでした。
中江和恵著「江戸の子育て」(文春新書)という本の「序にかえて」から引用してみます。
 
明治初期に来日し、東京から北海道まで旅行したイギリス婦人、イサベラ・バードは、日光からの手紙で、「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」と書いている。常に子どもを抱いたり背負ったりしていて、歩く時には手を引いてやる。子どもの遊んでいる様子をじっと見守り、時に一緒に遊んでやったりもする。いつも何かしら新しい玩具を与え、遠足やお祭りに連れて行き、子どもがいない時は、さみしそうにしている――。
(中略)
あるいはまた秋田県白沢からの手紙では、仕事から帰宅した人々は子どもを見て楽しみ、背に負って歩きまわったり、子どもが遊ぶのを見ている、いかに家は貧しくとも、彼らは自分の家庭生活を楽しんでいる、少なくとも子どもが彼らをひきつけている、と記している。
 (中略)
一方、やはり明治初期に来日し、大森貝塚を発見したアメリカ人モースは次のように記す。
祭りには、大人はいつも子どもと一緒に遊ぶ。提灯や紙人形で飾った山車を、子どもたちが太鼓を叩きながら引っ張って歩くと、大人もその列につき従う。それを真似て、小さな子も小さな車を引いて回る。日本は確かに子どもの天国である――。
(中略)
一方、幕末にイギリスの初代駐日公使として来日したオールコックは、赤ん坊はいつも母親の背中に負ぶわれているが、父親が子どもを抱いて江戸の町や店内を歩いているのもごくありふれた光景だ、と記してその様子を写生し、「ここには捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」と書いた。
このように幕末・明治初期に来日した欧米人は、日本人の子育てを驚きの目で見、盛んに賞賛したが、彼らの来日の半世紀近く前、文政三年から十二年(一八二〇~二九)まで長崎・出島のオランダ商館に勤務していたフィッセルは、次のような文章を残している。
「私は子供と親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている。このことは、日本人が、生まれてからずっと、両親がすべてを子供たちに任せてしまう年齢にいたるまで、子供のために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきりわかるのである」
(日本人は)子供たちの無邪気な行為に関しては寛大すぎるほど寛大であり、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」
 
 
子どもをたいせつにする文化、子どもが遊んでいることに共感する文化が昔からあったことは、平安時代末期の「梁塵秘抄」の歌を見てもわかるでしょう。
 
「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ揺がるれ」
 
『梁塵秘抄』の中でも大変有名な歌です。遊ぶために生まれてきたのか、戯れるために生まれてきたのか、遊んでいる子供の声を聞くと、体じゅうがいとおしさで震えがくる。これは乱世の中、庶民の家庭で母が子を思う歌です。
 
 
もっとも、武士階級の子育てはかなり違っていて、子どもをきびしく教育したようです。長州藩士の子どもであった乃木希典大将が幼児虐待ともいえる育てられ方をしたことは「乃木将軍とニンジン」というエントリーで書きました。
 
 
明治政府は、欧米列強に対抗するには、子どもをたいせつにする文化よりも子どもをきびしく育てる文化が必要だと考え、それを奨励しました。
その考え方は今にいたるも受け継がれ、その結果、幼児虐待が横行するようになり、公園で子どもが遊んでいると、その遊ぶ声がうるさいという苦情が寄せられたりします。
 
しかし、子どもや子どもの遊びをたいせつにする文化は今も日本文化の基底にあり、それが日本のマンガ・アニメの隆盛にもつながっていると思われます。
 
今後、日本が進むべき道は、子どもをたいせつにする文化を復活させる方向でしょう。