コペルニクスは地動説を思いついたからといって、一般の人々に向かって、「太陽が動いているのではない。地球が動いているのだ」と言ったりはしませんでした。そんなことを言えば、狂人扱いされ、教会からも迫害されるのが目に見えていたからです。コペルニクスは友人の天文学者にだけ手紙で自分のアイデアを伝えました。天文学者ならそのアイデアの価値がわかります。友人の天文学者は手紙を書き写して仲間の天文学者に伝え、そうして天文学界にそのアイデアは広まりました。
あるとき、コペルニクスのもとに若い天文学者がやってきて、そのアイデアをぜひ本にするべきだと力説したので、コペルニクスもその気になり、「天球回転論」という本を書きます。
しかし、コペルニクスは70歳で亡くなりますが、コペルニクスは本の完成を見なかったとされます。本を書き始めるのが遅かったということもありますが、自分の死後に出版するようにと言っていたという説もあります。それぐらい教会から迫害されるのを恐れていたのです。
実際、のちにガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられることになりましたが、コペルニクス自身は平穏な人生を全うしました。
 
ダーウィンが進化論のもとになるアイデアを思いついたのは29歳ごろだったとされます。それから考えを発展させ、「種の起源」の執筆にとりかかりますが、20年かけて、書いた原稿は膨大な量になっても、なかなか完成しません。
私が思うに、進化論を発表すると教会を初めとする多くの人々の反対にあうことがわかっていたので、先延ばしにしていたのでしょう。もしかしてコペルニクスのように、晩年か自分の死後ぐらいに出版してもいいと思っていたかもしれません。
しかし、そこにウォレスから手紙がきて、ウォレスも同じようなことを考えていることを知ります。とりあえず2人の連名で小論文を発表し、それからあわてて「種の起源」を書き上げますが、これは本来書くはずだったもののダイジェスト版みたいなものでした。
「種の起源」を出版した結果、ダーウィンは学界の論争の渦中におかれ、また新聞にサルの姿をした似顔絵を書かれるなど、一般の人々からも反発を買いました。ダーウィンは学究肌の人で、病弱でもありましたから、こうした状況に置かれることは私たちの想像以上につらかったでしょう。
 
 
なぜコペルニクスとダーウィンの話をしたかというと、今の私も同じような心境にあるからです。
私は32歳のころに、人間がどのようにして道徳をつくりだしたかというアイデアを思いつきました。これは、道徳観のコペルニクス的転回というべきもので、人類史においてはコペルニクスやダーウィンにも匹敵する画期的な業績です(自分で言っているのがいかにもあやしいのですが)。私はそれを「道徳の起源」という本にまとめようと書き始めましたが、なかなか完成させられません。もともと浅学非才な上に、これを書くと反発が多くてたいへんなことになるのではないかという恐れがあるからです。私は人と争うことから徹底的に逃げてきた人間ですから、論争などもしたくありません。
ほんとうなら私がもっとビッグな作家になって、あの人が言うのなら正しいのかもしれないと思わせるぐらいになるのがよかったのですが、諸々の事情からそれもかないませんでした。
 
というわけで、とりあえずこのブログを始めて、新しい道徳観に基づいていろいろなことを書いています。こうしたことを通して、世の中の反応を試し、自信をつけ、次の展開を目指そうというわけです。
 
新しい道徳観のことを「科学的倫理学」と名づけていますが、これに基づくと犯罪対策にしてもテロ対策にしてもまともになります。今の犯罪対策やテロ対策がまったくデタラメなのと比べると、どちらが正しいか明白でしょう。また、政治のことから家族関係のことまで正しく把握できるようになります(細かいことで間違うことはありますが)。
 
半信半疑の人もとりあえずこのブログを読み続けて、従来の考え方と私の考え方とどちらが正しいか考えてください。