ダーウィンの進化論によって、人間は初めて自然界の中に正しく位置づけられました。日本人にすれば、「生きとし生けるものいずれか歌を詠まざりける」という歌があるように、人間と動物を同一視する発想がありますから、人間はサルの仲間だといわれてもたいした抵抗感はありません。しかし、欧米人にすれば相当ショックだったようです。今でもアメリカには進化論を認めない人がいっぱいいます。
もちろん聖書に人間や動物は神によって創造されたと書いてあるからですが、それだけではありません。動物は獰猛で貪欲な存在ですが、人間は神に似せてつくられたゆえに道徳的な存在で、人間と動物は根本的に違うものだと考えられていたからです。
 
人間がサルから進化したものだとすれば、道徳は神から与えられたものではなく、人間がみずからつくりだしたものだということになります。人間はどのようにして道徳をつくりだしたのでしょうか。
ダーウィンはそのこともいち早く考えました。
ダーウィンは、社会性動物には親が子の世話をしたり、仲間を助けたりする利他的性質があり、当然人間にもより進化した利他的性質があり、人間はその利他的性質をもとに道徳をつくりだしたと考えたのです。
このダーウィンの道徳起源説は、とくに批判されることもなく現在にいたっています。「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスもダーウィンの道徳起源説を採用しています。
 
ダーウィンは確かに真実の扉を開きました。しかし、観音開きの片方を開けただけで、もう片方を開けるのを失敗してしまいました。道徳の起源を間違ってしまったからです。
そのため、人文科学や社会科学はダーウィン以降も旧態依然で、根本的にデタラメなままです。
 
私はダーウィンとは別の道徳起源説を思いつきました。
ダーウィンがいうように社会性動物や人間に利他的性質があるのは事実ですが、利己的性質もあり、どちらかといえば利己的性質のほうが根底にあります。
ですから私は、人間は利己的性質をもとに道徳をつくりだしたと考えたのです。
 
私が思いついたのはたったこれだけです。
思想や哲学というのはやたらむずかしいものですが、私の思想はあまりにも単純です。小学生でもわかるでしょう。
 
問題は、私の説が正しいか、ダーウィンの説が正しいか(それとも第三の説があるか)です。
 
私の説では、人間は道徳をつくりだしたために動物よりも利己的になり、単になわ張り争いをするだけでなく帝国をつくったり、奴隷制度をつくったり格差社会をつくったりしています。
 
もっとも、道徳観を転換するということは、生き方を転換するということでもあります。人間は急に生き方を変えられるものではありませんから、道徳観の転換も容易ではないということになります。
 
しかし、ダーウィン説が正しいか私の説が正しいかは、どちらが論理的でかつ現実に適合しているかで判断できますから、最終的に決着するのは時間の問題です。
 
 
私の道徳起源説については、私のホームページでより詳しく説明しています。
「思想から科学へ」村田基(作家)のホームページ