東京大学大学院教授の佐倉統氏は進化生物学を中心に科学全般から文系までを視野に収める気鋭の学者で、私は佐倉氏の本から多くのことを勉強させてもらっています。NHKEテレビの「サイエンスZERO」にも出演しておられるので、ご存じの方も多いかと思います。
佐倉氏の「科学の横道」(中公新書)という本を読んでいたら、作家の堀江敏幸氏との対談の中におもしろいくだりがありました。
 
 
堀江 たとえばこの間、中谷宇吉郎の「鼠の湯治」という短いテキストを大学の授業で読んだんです。温泉が外傷の治癒にどれだけ効能があるのかを、ある研究者がネズミを使って実験するという話で、データの解析に悩んだその研究者が、語り手である中谷宇吉郎に相談してくる。で、あいだを飛ばすと、解析法にはめどがたって、そのあとこの実験のために、ネズミたちは温泉に連れて行かれるんですね。助手たちが200匹ぐらいのネズミをかごに入れて運び、実験のための傷をつけて、順番に温泉につからせる。ところがデータとはべつに出た結論は、ネズミは温泉が好きである、ということなんです(笑)。みんな目をつぶって気持ちよさそうにしているというんですよ。
佐倉そういう部分が面白いんですよね。研究のなかの余白の部分というか。
 
 
ネズミが気持ちよさそうに温泉につかっている絵が脳裏に浮かんで、思わず微笑んでしまいます。
もちろん、ネズミはほんとに気持ちよいのかという問題はあります。ですから、佐倉氏は「そのときの血圧や心拍を測るなりして、その気持ちよさをできるだけ客観的に探っていくのが科学なんですが」とも語っておられます。
 
とはいえ、ネズミが気持ちよさそうにしていると感じる感性はだいじなことです。そして私は、もしかしてこういう感性を持っているのは世界でも日本人くらいではないかと思いました。
つまり、これには国民性が関わっているに違いないのです。
 
たとえば、「『甘え』の構造」で有名な土居健郎氏が「甘え」について考えるようになったきっかけは、アメリカ留学中、アメリカ人の患者がアメリカ人の精神科医に甘えの態度を示しているのに精神科医がまったくそれに気づいていないのを見たことです。つまり、アメリカ人も甘えることはあるのですが、それを甘えであると認識する感性をアメリカ人は持っていないようなのです。
 
日本人は風呂好きです。自分がお風呂につかると気持ちいいので、ネズミも同じだろうと考えます。
しかし、世界には風呂好きでない国民も多いのです。
少なくともヨーロッパやアメリカでは、お風呂よりはシャワーですましてしまうことが多いようです。温泉はあっても、多くは病気を治すために利用されていて、温泉そのものを楽しむという文化もないようです。
もっとも、古代ローマ人は大の風呂好きで、ヨーロッパや北アフリカのあちこちに大浴場の遺跡が残っています。同じ土地に住んでいる今の人たちが風呂好きでないのは不思議な気がします(おそらくキリスト教の禁欲主義のせいでしょう)。ちなみに「テルマエ・ロマエ」という人気マンガは、古代ローマ人と現代日本人を世界の二大風呂好き国民として描いています。
ですから、風呂好きでない国民性の人が、温泉につかって目をつぶってじっとしているネズミを見たとき、それを気持ちよさそうだとは認識しない可能性が大です。意識レベルが低下しているとか、硬直しているとか思うかもしれません。
 
また、日本人は昔から動物と人間をそれほど区別しません。「生きとし生けるものいずれか歌を詠まざりける」という歌がありますし、シカの発情する声に自分の恋心を重ね合わせるということもあります。
こうした文化があるから、ネズミは温泉が好きだという発想も自然に出てくるのです。
 
ちなみにニホンザルのイモ洗い行動を観察して、動物にも“文化”があるということを世界で初めて明らかにしたのも日本人です。
また、仙台周辺のカラスがクルミの実を道路に置いて、自動車にひかせて殻を割るというカラスの“文化”があることを報告したのも日本人です(このとき、欧米からはそれは偶然のことではないかという反論があったそうです)
人間に文化があるのだから、動物にも文化があって当然だというのが日本人の発想です。
 
欧米人は人間と動物を画然と区別します。人間は理性、知性、精神、魂、良心、良識、道徳性などを持つ特別の存在だと思っているのです。
そのため進化論がなかなか受け入れられませんでしたし、進化論を受け入れる人も、人間の精神は別だと考えていることが多いようです。
欧米人の動物愛護のやり方も、日本人の目には、上の立場から一方的に愛護するというふうに見えて、違和感があります。
最近、欧米では大型類人猿には(人間と同様の)人権を認めるべきだという過激な主張が出てきていますが、これなども人間と動物を画然と区別するがゆえに出てきた極論です。
 
人間が正しい自己認識を得るには、人間と動物の関係を正しく把握することは当然の前提となります。その点、日本人は欧米人よりも圧倒的に有利な立場にあるといえます。
日本人はやたら欧米の思想をありがたがりますが、今後、欧米の思想はひとまとめにして捨てられ、日本発の思想が世界を覆うようになっても少しも不思議ではありません。