病院の待合室にいたら、南欧の港町にいるさまざまな猫を映した環境ビデオが流れていて、その中に路上で猫と犬が並んで寝ているシーンがありました。そういえば、私もトルコで寝ている犬の横に猫がいるのを見たことがあります。日本でも、犬が散歩しているすぐ近くで猫がのんびりとしている光景が見られます。
 
しかし、もともと猫と犬は仲が悪いと決まったものです。仲が悪いことのたとえを日本語では「犬猿の仲」といいますが、英語では「犬猿」ではなく「cats and dogs」といいます。
 
父親が犬好きだったので、私が子どものころ家にはシェパードやコリーやブルドッグがいました。小学生がシェパードやコリーのような大型犬を散歩させるのはたいへんです。引っ張られると力負けします(犬は自分のほうが私より位が上だと思っていたのでしょう)
とくに困ったのが、散歩中に猫と出くわすことです。猫はシェパードと喧嘩しても勝てるわけがないと思うのですが、しばしば塀の上から毛を逆立てて威嚇してきます。当然、シェパードは吠えかかるので、猛烈に引っ張られます。
当時の猫も犬も気性が荒く、そのため文字通り「cats and dogs」の仲だったのです。
 
当時は、キャットフードというのがありませんから、飼い猫はご飯にカツオ節をまぶした猫まんまなどを食べさせられていました。ということは、猫は自分でネズミなどを捕って栄養補給をしていたのです。ですから、当然気性が荒くなります。
犬も、室内飼いされるのは小型犬だけで、普通は番犬として戸外で飼われていました。不審な人間には吠えかかることが期待されていましたから、気性が荒いのも当然です。
 
しかし、現在は猫と犬がいがみ合う場面はほとんど見られません。猫も犬もおとなしくなったからです。猫同士も、昔は毛を逆立て背中を丸めてうなり声を上げて威嚇し合うというシーンがよく見られましたが、今の猫はほとんど毛を逆立てることがありません。
動物というのは本能に従って生きているのだから、いつも同じ生き方をしているはずだと思う人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。四、五十年で大きく変わってしまうのです。
 
猫がおとなしくなった理由のひとつは、完全栄養食のキャットフードが普及したことです。そのため猫はほとんどネズミなどを捕らなくなりました。
私は今、猫を一匹飼っていますが、この猫は若いころはネズミやセミやスズメなどをよく捕ってきました。しかし、捕ってくるだけで食べることはありませんでしたし、ネズミにとどめをさすことができませんでした(ネズミは私が逃がしてやりました)。本能だけではネズミにとどめをさすことはできないようです。最近は年をとってきたせいか、めったになにかを捕ってくることはありません。
昔、猫を飼う目的のひとつはネズミを捕らせることでした。しかし、今そんな目的で猫を飼う人はまずいないでしょう。ほとんどが愛玩目的ですし、その分猫をたいせつにしますから、猫の気性もやさしくなるはずです。
また、キャットフードで生きているので、縄張り争いも真剣にする必要がなくなります。それも猫の気性が変わった理由でしょう。
 
犬の場合は、昔はなかった犬種がふえましたし、同じ犬種でも品種改良によって性格がおとなしくなっている傾向がありますから、戸外で勝手に繁殖している猫とは事情が違います。それでも、やはり室内飼いが多くなり、飼い主からいつもかわいがられているために、昔より気性がおだやかになったということはいえるでしょう。
 
そのため、今は猫と犬が出会っても、なにごとも起こりません。
アメリカではどうなのでしょうか。「cats and dogs」は死語になっているのでしょうか。
 
 
猫や犬でもこんなに気性が大きく変わるのですから、人間の気性も変わってきて当然です(人間の気性が変わったことが猫や犬の気性が変わった一因になっているのはもちろんです)
 
私が子どものころ、人間(とくに男ですが)は今よりもはるかに荒々しく、よく喧嘩をし、よく犯罪もしていました。盛り場でちょっと肩がぶつかったことがきっかけで喧嘩になるなどということは日常茶飯事でした。
このことは犯罪統計を見れば一目瞭然でしょう。
「少年犯罪は急増しているか」というサイトがあるのでリンクを張っておきます。少年犯罪以外もグラフになっているので、これがいちばん見やすいようです。
 
昔の人間のほうが気性が荒かった最大の理由は、昔は軍隊を経験した男が多かったですし、軍隊に行かなくても行くことを前提に誰もが教育を受けていたからでしょう。つまり、男が軟弱であることは許されなかったのです。
しかし、世の中は平和になり、豊かにもなりましたから、当然男は軟弱になっていきました。
そして、当然凶悪犯罪や粗暴犯罪もへりました。
 
しかし、多くの人は最近は凶悪犯罪がふえ、治安が悪くなったと思っています。
マスコミにおいて犯罪報道は優良コンテンツなので、犯罪報道は大げさになりがちですし、警察においても治安が悪化したと思わせたほうが予算獲得に有利になるということも一因です。
 
とはいえ、統計はそうではないことを示していますし、このことはインターネットなどでよく指摘されます。
 
そこで、誰が考えたのか、「体感治安」という言葉がつくられました。
つまり、「統計では犯罪はへっているかもしれないが、体感治安が悪化しているのは事実だ」などというわけです。
 
「体感温度」が実際の気温と違うのは、風と湿度と日当たりで説明できます。しかし、「体感治安」が実際の治安状況と違う理由は誰も説明しません。
 
ということで、私が説明しましょう。
「体感治安」が悪化しているのは、私たちが軟弱になり、犯罪や暴力に対する耐性が低下しているからです。
言い換えれば、私たちは犯罪過敏症になっているのです。
 
昔、盛り場で肩がぶつかったことがきっかけで喧嘩になり、怪我したり、打ちどころが悪くて死んだりしても、ありふれたできごととして、めったに新聞記事にもなりませんでした。しかし、今同じことがあれば、マスコミは大きく取り上げるでしょうし、私たちも大きな出来事だと思うでしょう。それは、犯罪に対する私たちの感性が変化したということなのです。
 
私たちが世界が変わったと思うとき、実際に世界が変わっている場合もありますが、私たちの感性が変わっている場合もあります(実際には両方が変わっていることが多いでしょう)。しかし、私たちは自分の感性が変わっているという可能性になかなか気づきません。
そんなとき、人間と動物を比較するのがひとつの有効なやり方です。