世の中にはいろいろな対立関係がありますが、その中でもっとも重要で、かつ意外と認識されていないのが世代間対立です。世の中の混乱は、世代間対立ということに焦点を当てて見てみると、意外と簡明に理解できたりします。
 
たとえば、私は全共闘世代ですが、あの全共闘運動も世代間闘争だったのだと考えるとよくわかります。
全共闘運動というのは、表面的には左翼思想で動いていたし、中心にいたのは過激な左翼党派だったわけですが、左翼思想だけであんなに盛り上がるわけがありません。左翼思想はむしろ若者の反抗を理由づけるのに利用されただけです。
 
若い世代が年寄り世代に反抗するというのはいつの時代にもありますが、戦後30年ぐらいの期間は、核兵器の登場、人工衛星打ち上げ、冷戦激化、高度経済成長、ベビーブーマー世代の登場など、人類の歴史上でもっとも変化の激しかった時代でしょう。年寄り世代はこうした変化についていけないので、若い世代からすれば古くさく見え、必然的に対立が激化します。たとえばビートルズひとつとっても、若い世代は圧倒的に支持していましたが、古い世代のほとんどは「あんなものは音楽ではなく騒音だ」などと言っていました。そうしたところにアメリカで若者によるベトナム反戦運動が激化し、それが世界に報道されます。また日本では日大闘争などさまざまな大学闘争が起こり、それも世界に報道され、ヨーロッパでも若者の反乱が起こり、中国では共産党内の政治闘争から生まれた紅衛兵がおとなをつるし上げます。それらは互いに影響し合って「アラブの春」ならぬ「若者の春」といえる状況をつくりだしたのです。
 
その背景にあったのは、いつの時代にもある、おとな世代による若者世代の抑圧です。おとなは既得権益者で、若者は新規参入者です。社会においても学校においても、若者はおとなの基準に合わせることが求められます。
 
しかし、おとなに反抗した若者もいずれおとなになり、今度はおとなとして若者を抑圧する側となります。人類の歴史において、ずっと同じことが繰り返されてきたわけです。
 
全共闘世代が社会の中心的存在となったとき、団塊ジュニア世代が親世代への反抗を理由づけるのに利用したのが右翼思想です。親の世代が左翼思想なので、必然的に自分たちは右翼思想で対抗することになります。もちろん共産圏の崩壊という背景があり、そこに小林よしのり氏の「戦争論」が出版されるというきっかけもありました。
 
もちろん左翼と右翼は世代と関係なく対立している部分がありますが、世代間対立のほうがより大きな対立として存在し、それに左翼思想や右翼思想が利用されているという部分があることも忘れてはなりません。
 
 
現在、政治の焦点となっているのが橋下流の政治手法をどう評価するかということですが、これについても世代間対立が大きな要素になっていることを見逃してはいけません。
橋下氏の政策や方針は単純にひとつの思想としてまとめることはできません。競争至上主義、新自由主義、劇場型政治などという面もありますが、一方で反原発、反電力会社ですし、情報公開も徹底してやっていますし、国の出先機関の廃止では国にかみついています。
これをあえてひとつのカテゴリーにおさめるとしたら、「既得権益者との戦い」ということになるでしょうか。
自治労や教育委員会も既得権益者と見ると、橋下氏のやっていることが明白になります。
そして、若い世代が橋下氏を支持し、年寄り世代が反橋下になっているのも理解できるでしょう。右翼であれ左翼であれ、年寄り世代は既得権益者であるからです。
 
たとえば、内田樹氏は左翼といってもいい人でしょうが、反橋下の立場を表明しています。しかし、その主張はちょっとへんです。
 
 
橋下さん(徹・大阪市長)は何もできない、それでも投票する有権者――内田樹・思想家
行政機構の非効率とか二重行政についても、同じ機能を持つ施設や機構が複数あることで、災害とか事故のときにシステムクラッシュを避けるリスクヘッジができる。「大阪の危機」を唱える人たちが、リスクマネジメントを考えないのは不思議だ。
 
 
いくら反橋下を訴えたいにしても、行政機構の非効率や二重行政を肯定するような主張をしてはだめでしょう。
内田樹ともあろう人がなぜこんなおかしな主張をしてしまうのかというと、よほど感情的になっているからと思われます。
なぜ感情的になってしまうかというと、結局のところ世代間対立に巻き込まれて、しかもそのことに無自覚だからでしょう。
 
私も年寄り世代ですから、橋下氏の矢継ぎ早に問題提起をするやり方にはついていけない感じがありますが、これは世代間の対立だと思っているので、若者世代の立場に立って考えるようにして、自分の感覚を修正しています。
 
思想対立より世代間対立のほうがより重大であるという観点から世の中を見ると、いろんなことがよく見えてきます。