橋下徹大阪市長の強みは、なんといってもテレビで鍛えた論争術でしょう。
東京に住んでいる人は、橋下氏のテレビ出演といえば「行列のできる法律相談所」しか思い浮かばないかもしれませんが、関西にはトーク番組がいっぱいあり、中でもやしきたかじん氏の番組では時事問題についてきびしいやり取りが行われ、橋下氏はそうした場で経験を積んでいたわけです。ですから、当意即妙の反論などはお手のもので、学者も橋下市長を相手にするとなかなか論争に勝てません。
 
テレビ番組における論争というのは、とりあえずその場で説得力を持たせるというのがたいせつですが、最終的にその論争の勝ち負けを決めるのは視聴者、つまり一般大衆です。
ですから、むずかしいことを言ってはいけませんし、正しいことを言ったほうが勝つわけでもありません(もちろん間違いを指摘されたら負けますが)
では、なにを言えば勝つのかというと、一般大衆を喜ばせることを言えばいいわけです。
一般大衆はなにを喜ぶのかというと、それはエンターテインメント映画を見ればわかります。
エンターテインメント映画は基本的に、最後は悪人を大々的にやっつけて正義のヒーローが勝利するという構造になっています。正義のヒーローが戦う理由はさまざまで、たとえば誘拐犯から人質を救出しようとする場合、こっそり救出しても目的は達するわけですが、そんなエンターテインメント映画はありません。実は人質救出は名目にすぎず、誘拐犯を徹底的にやっつける快感を味わうことを観客は求めているからです。
 
「人助けは名目で、悪人をやっつける快感が目的」というのは、テレビ討論においても同じです。
たとえば、貧困層のためにセーフティネットを手厚くしないといけないと主張する人と、生活保護の不正受給者にきびしく対処しないといけないと主張する人がいた場合、どうしても後者が一般受けすることになります(この両者の主張はどちらも間違っていなくて、論争としてはかみ合っていないのですが)
死刑賛成派と死刑反対派が論争した場合も、どうしても賛成派が有利になります。橋下氏はもちろん死刑賛成派ですが、単に凶悪犯を死刑にしろと主張するだけでなく、死刑反対の弁護団に対する懲戒請求を行うよう一般に呼びかけるというところまで踏み込みます。これには弁護団に逆に訴えられるなど反発の動きも大きかったのですが、橋下氏は自分の主張が大衆に支持されているという自信があるので、訴えられても動じません。
 
政治家となってからの橋下氏は、次々と“悪いやつ”をやっつけることで人気を博してきましたが、このやり方はテレビ出演の中で学んだという面も大きいでしょう。
問題は、“悪いやつ”がほんとうに悪いやつかどうかですが、この点の橋下氏の判断力はまったく信用できません。というか、今の時代に正しい判断力を持った人はまずいません。
というのは、橋下氏であれ誰であれ、道徳に基づいて誰が“悪いやつ”かを判断するわけですが、今の道徳は根本的に間違っているので、この判断は必然的に間違ってしまうのです(今の道徳のなにが間違っているかというと、道徳の中に愛情や思いやりがないのです。「愛情や思いやりがない」と非難することはありますが)
このことは誰でも体験的に知っています。正義を徹底して追求し、“悪いやつ”をどこまでもやっつけていくと、より悪い事態を招くことになるのです。ですから、正義の追求はほどほどにしようという“おとなの知恵”があるわけです。
 
しかし、エンターテインメント映画にそんなものはありません。橋下氏の今までの言動を見ていても、そんなものはないようです。正義のヒーロー路線を突っ走っています。
今のところ、既得権益者をたたくということがメインになっているので、マイナスよりはプラスのほうが大きいと思いますし、これから中央省庁の官僚をたたいてくれればいいなと私は思っているのですが、果たしてその方向に行ってくれるかどうかわかりません。
かりにすべてうまくいっても、そのあとは“虐殺しないポル・ポト”みたいなことになっていくでしょうから、それもおそろしいことです。
 
橋下氏に「正義の追求はほどほどに」ということを理解させることができるでしょうか。たぶんできないと思います。“おとなの知恵”を身につけた橋下氏は人気を失ってしまうからです。
 
どこかで壁にぶつかって止まるのを待つしかありません。