「正義」は今や、廃棄するのに困る粗大ゴミのようなものです。昔は、女性が結婚相手に望む条件の中に、「正義感が強い」というのも必ず入っていたものですが、今はほとんど見かけることはありません。死刑執行や厳罰を求める世論はありますが、それは「正義のため」ではなく、「被害者感情のため」です。アメリカの軍事行動を支持する人も、「それが正義だから」ではなく、別の理由を挙げます。
「正義」が大っぴらに登場するのは、エンターテインメントの映画やドラマやマンガの中だけです。
しかし、エンターテインメントの映画やドラマやマンガの中でも、実は「正義」にはきびしい制約が課されています。
 
私にとって最初の正義のヒーローといえば「月光仮面」です。私はこのテレビドラマを7歳のときに見たことになりますが、子ども心にいくつもの疑問を感じました。
まず仮面をして正体を隠しているのが不思議でした(正体は祝十郎という私立探偵です)。それに、「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」と主題歌にあるように、現れてもすぐに去ってしまいます。また、「月光仮面」であって、「陽光仮面」とか「太陽仮面」ではありません。全体として、「月光仮面」は日陰者として描かれます。正義の味方がなぜ日陰者になるのか、不思議でした。
 
「スーパーマン」も似ています(「月光仮面」は日本でも「スーパーマン」のようなドラマをつくろうということでつくられたものですから、当たり前ですが)。普段は新聞記者になって正体を隠しています。姿を現しても、悪人をやっつけるとすぐに去ってしまいます。
 
「スパイダーマン」や「バットマン」は、その姿形がクモやコウモリという嫌われ者です。やはり正体を隠し、短時間しか現れません。
 
「鞍馬天狗」も、天狗という妖怪を模して、黒装束です。やはり正体を隠して、短時間しか現れません。
 
「ウルトラマン」になると現れる時間がタイマーつきで限定されます。やはり普段は科学特捜隊員などになって正体を隠しています(スーパーマンとウルトラマンは異星人の正体を隠して人間に扮しています)
 
つまりこれらの正義のヒーローには共通した特徴があり、
1、正体を隠している
2、たいてい日陰者や嫌われ者の姿をしている
3、短時間しか現れない
ということになります。
 
なぜこんなことになっているのでしょうか。
それは、正義のヒーローが長時間、大規模に活躍しないようにという設定なのです。
正義のヒーローはピンポイントで悪人をやっつけるだけで、それ以上のことをしてはいけないのです。
 
こういう設定は、私たちの正義に対する複雑な心情を反映したものでしょう。つまり、正義のヒーローが悪人をやっつけてくれるのはうれしいが、あまり大きな顔をされるのは困るということなのです。
 
しかし、現実の世界では、悪人をやっつけた正義のヒーローは「疾風のように去っていく」ことはなく、世の中に常駐します。
権力者、国家権力、司法警察制度などがそうです。これらは「正義」を自認して、年中「正義」を行っています。
そのため世の中はうんざりしたものになっています。
やはり「正義」は粗大ゴミとして廃棄処分しないといけません。