光市母子殺害事件の被告の死刑が確定しました。世論は圧倒的に肯定的です。ネットを見ても、2ちゃんねるはもちろん、ヤフーブログの新着記事のリストも死刑肯定が多く、被告への批判と、弁護団への批判があふれています。
最近の日本は政治も経済もパッとしませんが、死刑問題も同じです。どんどんだめな国になっていきます。
これを主導しているのは法務、司法、警察の官僚です。マスコミがそれに追随して、ネットなどの世論がさらにそれに追随します。日ごろ「マスゴミ」などと言ってマスコミ批判を展開している人たちも、死刑問題についてはマスコミにあやつられています。
 
死刑賛成派が論拠にするのは、世論が圧倒的に死刑賛成であることと、犯罪被害者及び犯罪被害者遺族の処罰感情です。
私はすでに、死刑賛成の世論がインチキなアンケートによってつくられているということを次のエントリーで指摘しました。
 
「法務官僚の『殺しのライセンス』」
 
もちろん適正なアンケートをやっても死刑賛成が多数になるでしょうが、そうした世論も官僚に追随するマスコミによってつくられた面が大きいことを考慮しなければなりません。
 
死刑賛成派の論拠のもうひとつは、犯罪被害者遺族の処罰感情です。今回はそれについて書いてみます。
 
殺人事件の被害者遺族が、犯人を死刑にしてほしいと思うのは自然な感情ですが、感情というのはとらえどころがなく、かつ移ろいやすいものです。たとえば、光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋氏は2009年に再婚して、今は2人で暮らしているそうです。事件が起きたのが1999年のことですから、再婚するのはむしろ当たり前ですが、今は事件直後の激しい処罰感情もだいぶやわらいでいることでしょう。となると、判決もその感情に合わせなければならないはずです(実際は一審、二審は無期懲役、上告審は死刑と、感情とは逆になっています)
 
また、世の中には本村洋氏のような人ばかりではなく、「犯人を死刑にしたからといって殺された者が生き返ってくるわけではない」などと言って、犯人に対する処罰感情を持たない被害者遺族もいます。そういう場合、日ごろ被害者遺族の処罰感情を理由に死刑を主張している人たちは、今回は死刑にする必要はないと主張しないといけないと思いますが、そういう主張は聞いたことがありません。
 
また、殺人事件の被害者が天涯孤独で、誰も悲しむ人がいなかった場合、判決文には「本来は20年の刑期にするべきところだが、幸い被害者には身よりがなく、事件の影響が限定的だったために、10年の刑期にする」などと書かれてもいいはずですが、そんな話も聞いたことがありません。
 
だいたい感情などというあやふやなものと人の命を天秤にかけるというのが根本的に間違っているのです。
 
さらにいうと、被害者遺族の感情を取り上げるなら、死刑になった加害者遺族の感情も取り上げないといけないはずです。死刑によって被害者遺族の処罰感情が癒されたとしても、死刑になった加害者遺族が社会や司法制度や被害者遺族に処罰感情を抱くなら、社会としてはプラスマイナスゼロということになります。
 
もっとも、加害者の親族の声がマスコミによって伝えられることはめったにありません。加害者の親族、とくに親は世の中から強く非難されますから、マスコミに出るどころではないのです。
それに、殺人など凶悪犯罪の加害者の場合、家庭が崩壊していて、肉親を探し出せないケースが多くあります。光市母子殺害事件の被告の場合も、父親から虐待を受け、母親が自殺するという家庭で育ちました。
この父親の立場から見ると、妻を自殺させ、子どもを殺人者にしたわけで、ほんとうに凶悪なのはこの父親ではないかということになります。ですから、こういう人はマスコミには出てこないものですが、なんと今回はフジテレビに出ていろいろなことを語りました。
 
「光市母子殺害事件に死刑判決。加害者の父語る」
 
父親は最初に「やっぱり我が子ですから、どんな罪を犯した人間でもかわいいです」と語っていますが、世間に受け入れられるように語っているのではないかという疑問を感じます。
私がとくに注目したのは、「私自身は(息子に対して)暴力と思ったことは1回もありません。自分では教育の一環で」と語っているところです。
父親がまったく反省しない人なのです。そういう父親に育てられた息子に反省しろと迫っても、むずかしいのは当然です。
 
この事件に限らず、凶悪事件のほとんどの加害者は、愛情のない家庭で育った被虐待児です。
被害者の多くは、被害にあうまでは幸せに暮らしていましたし、被害者遺族も同じです。
裁判官、検事、弁護士、被害者遺族、マスコミ、世間の人々の中で、実は加害者がいちばんかわいそうな人なのです。
親鸞が「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言ったのはこのようなことなのでしょう。