シリーズ「横やり人生相談」です。今回は、どうしてこんなどうでもいいことで悩むのだろうという相談です。もっとも、本人は真剣に悩んでいるようです。そのギャップが妙な味を出しています。
  
折りたたみ傘嫌う夫 許せない2012224  読売新聞)
 50代主婦。同じ50代の夫は酒もたばこもやらず、家族のために身を粉にして働き、私と娘、ペットの犬を愛してくれます。でも、人としてどうしても許せないところがあります。折りたたみ傘が嫌いな点です。
 朝から雨だと、夫は大きい傘を差して出かけます。でも小雨の日や、途中で雨が降り出しそうな日は、折りたたみ傘を持たず、防水仕様の登山帽とダウンコートで出かけるのです。
 使わない理由として、夫は「山歩きをする時は傘を使わないし、折りたたみ傘は使った後に干してたたむのが面倒」と言います。でも、私たちが暮らしているのは山ではありません。夫が周囲から「傘も買えない貧乏な人」と思われるのも嫌だし、私も顔から火が出るほど恥ずかしくなります。
 何とか夫に折りたたみ傘を使ってもらうため、良い方法を教えてください。(東京・S子)
 
 
この相談の回答者はライターの最相葉月さんです。相談が相談だけに、回答の内容も紹介するほどのことではないでしょう。「うちの夫はイギリス紳士だと思うことにしてはいかがでしょうか」というくだりがあることだけ書いておきます。
 
この相談のおかしいところは、第一に、『夫が周囲から「傘も買えない貧乏な人」と思われるのも嫌だし、私も顔から火が出るほど恥ずかしくなります』というところでしょう。いつも傘を差さずに濡れている人がいるからといって、終戦直後でもあるまいし、「傘も買えない貧乏な人」と思う人はいないでしょう。今は100円ショップでも傘を売っています。
そして、もうひとつおかしいのは、折りたたみ傘を持たないことを「人としてどうしてもゆるせないところ」と表現していることです。たかが傘を持たないことをそこまでいうかと驚いてしまいます。
 
問題は、折りたたみ傘を持とうとしない夫ではなく、それを許せない妻のほうにあることは明らかでしょう。
 
では、妻はどうしてこのような妙な考えを持ってしまったのでしょうか。
そのヒントは、「夫は酒もたばこもやらず、家族のために身を粉にして働き、私と娘、ペットの犬を愛してくれます」というところにあります。つまり、この夫はほとんど完璧で、批判するところがないのです。
批判するところがないなら、批判しなければいいのですが、そうはならないのが人間心理のおかしなところです。
 
私は同じような例をもうひとつ見たことがあります。
昔、「新婚さんいらっしゃい」に似た番組があり、カップルが出てきて、相手に対する不満を述べるという番組ですが、そこに、美人で、家事もよくするし、性格もいいという奥さんが出てきました。その夫は、奥さんのつくる味噌汁がいつも具がいっぱいなのが許せないと主張しました。具だくさんの味噌汁は、下品で、田舎くさいというのです。料亭で出るような、具の少ない味噌汁がいいそうです。
具だくさんの味噌汁は栄養があって、塩分も少なくてすみ、家庭料理としてはむしろすばらしいと思いますが、その夫は「田舎」ということをキーワードに、味噌汁やそれをつくる妻をさげすみました。つまりその夫は田舎に対する差別意識を持っていて、それを妻にも押し広げたわけです。
私は、この夫はなぜこんなへんなことですばらしい奥さんを批判するのかと思い、ほかに批判することがないからではないかと思い至りました。つまり批判するためにむりやり批判のタネを捏造しているのです。
 
折りたたみ傘を持たない夫を批判する妻も同じ心理でしょう。
 
では、なぜこうした心理になるのかというと、別にたいした理由ではありません。要するに私たちはつねに人を批判する生活を送っていて、いわば人を批判することが“生活習慣病”になっているのです。とくに家庭内で、夫婦間や親子間で批判するという習慣は、人格の中心的なところに刻み込まれますから、なかなか訂正できません。ですから、家庭内に批判する人がいないと、むりやり批判する理由をつくって批判するというわけです。
 
ちなみに私たちがつねに政治家を批判しているのも、やはり“生活習慣病”なのかもしれません。
 
ここで注意しなければならないのは、折りたたみ傘を持たない夫や、具だくさん味噌汁をつくる妻を批判するのは、批判するほうがおかしいと気づきやすいですが、子どもを「わがまま」だとか「だらしない」だとか「やる気がない」だとか批判する場合は、ほとんどの人がおかしいとは気づかないということです。しかし、親が自分の遺伝子を受け継いだ子どもを批判するというのは根本的に間違っていて、これも“生活習慣病”というべきものなのです。
 
それはともかく、折りたたみ傘を持たない夫を批判する妻が「人としてどうしても許せない」という表現を使ったように、こうしたおかしな批判は道徳の形をとって現れます。
ですから、道徳を総体として批判する視点を持っていれば、人間心理のあり方がより明瞭に見えるようになります。