橋下徹大阪市長や大阪維新の会の言動がお笑いの領域に入ってきました。
大阪府立和泉高校の卒業式で国歌斉唱の際、教職員がほんとうに歌っているか校長が口の動きで確認し、口が動いていなかった教員の処分を府教委が検討しているということで、橋下市長はこれを「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛しました。
和泉高校の中原徹校長は実は弁護士で、橋下市長の友人でもあり、民間人校長として就任した人です。橋下市長と価値観を共有しているのでしょう。
 
口の動きを確認されるなら、口パクで対抗すればいいということになります。そうすると、今度は指向性マイクを使って声が出ているかどうかを確認することになるのでしょうか。
 
なぜこんなバカバカしいことになるのかというと、もともと国歌斉唱とか起立とかいうことがくだらないことだからです。くだらないことを追究していくと、くだらなさがどんどんあらわになっていくというわけです。
 
大阪府の国歌斉唱問題についてはこんなニュースもありました。
 
 
「信念ある人間なら自決の覚悟」維新府議が教員を批判
大阪府立学校の卒業式で、府教育長らの職務命令に反して君が代を起立斉唱せず戒告処分を受けた17人の教員について、大阪維新の会の中野隆司府議は12日の府議会で、定年退職前の教員らが多かったことに触れて「そろばんはじいて退職金に影響ないんかという程度の信念」「本当に信念ある人間なら自決するぐらいの覚悟があるでしょ」などと発言した。
 中野府議はキャリア約20年の元公立中学校教諭。戒告処分が退職金に影響せず、60歳以上が約半数(8人)だった点を指摘し、「ダライ・ラマさんがおられるチベットで中国が侵攻したときに何人の僧侶が自決したか」「年齢構成をみると、いかに信念のない人間の集まりであるかということがよくわかります」と主張。「(不起立は)即座に解雇というぐらいの強い態度を示すべきだ。議論を会派に持ち帰り、検討を加えたい」と述べた。
 一方、松井一郎知事が入学式でも不起立だった教員は現場を外して指導研修させるべきだとの方針を示していた点について、府教委は、別の府議の質問に「(現場を外す研修は)懲罰的な取り扱いになりかねない」と慎重な姿勢を示した。(金成隆一)
朝日新聞関西2012313
 
この中野府議は、不起立教師をダライ・ラマのいるチベット側の人間にたとえています。ということは、自分たちはチベットに侵攻した中国政府の側になるわけです。
語るに落ちるとはこのことでしょう。人間というのは心の深層では問題を正しくとらえているものなのですね。
 
不起立問題はバカバカしいことがわかりやすいですが、こちらのほうはどうでしょうか。朝鮮総連系の学校への補助金の問題です。
 
 
朝鮮学校補助金:大阪府内8校が交付申請 「総書記の肖像画職員室から外した」
  大阪府は9日、府内の朝鮮初・中級学校8校から「故・金正日(キムジョンイル)総書記の肖像画を職員室から外した」として、補助金交付の申請があったと発表した。府は交付要件の一つに、職員室から肖像画を撤去することを提示していた。現地調査し、撤去が確認されれば2月府議会に補正予算案を提案する方針。
  府私学・大学課によると、8校を運営する大阪朝鮮学園(東大阪市)から今年度の補助金計約8100万円の交付申請があった。府は10年度分については教室からの肖像画の撤去を求めたが、11年度分では、職員室からの撤去も求めた。
  大阪府には朝鮮初・中級学校が全9校あり、生徒数で補助金交付の要件を満たしているのは今回の8校。大阪朝鮮学園のある関係者は毎日新聞の取材に「教室からは十数年前に肖像画を下ろしている。府民に理解してもらうため、職員室からも下ろすことを決めた。補助金のために下ろすわけではない」と話した。【田中博子】
毎日新聞2012310
 
 
これはやはりバカバカしいことですが、実はあまり笑えません。これはマスコミもちゃんと批判しないといけません。
 
肖像画を掲げるのをやめることが補助金交付の条件になるというのは、いろんな意味でへんです。補助金がおりたらまた掲げ直すということもできますし、小さな肖像画をワッペンにしてつけるとか、たとえば橋下市長の肖像画を掲げておいて、その裏に金正日の絵を張って、それを拝むとか、いろんな抜け道があります。
もっと問題なのは、金正日の肖像画がだめということが通ってしまったら、今度はキリスト像がだめということにもなりかねないことです。
金正日はだめで、キリストはよいということを論理的に説明することができるでしょうか(金正日は日本人拉致事件の責任はありますが、日本の法律で犯罪者とすることはできません)
 
肖像画や国旗国歌はシンボルや偶像であって、合理的にとらえることができません。ですから、政治や行政はそういうことにかかわってはいけないのです。
そういうことをしている国は、宗教と政治が一体化したイスラム国と、個人崇拝の独裁国と、実質的に宗教国家であるアメリカぐらいのものです。
 
靖国神社も同じです。英霊の存在は証明することができないのですから、こういうことは政治の場でいくら議論しても時間のむだです。
孔子も「君子は怪力乱神を語らず」と言っています。
 
橋下市長も大阪維新の会も、政治や行政を本来の役割に戻さなければなりません。