このブログはできるだけ、社会にとってあるいは人間にとって大きな問題を扱うようにしているのですが、ネットの特性として、重箱の隅をつつくような問題に関心が集まる傾向があるような気がします。そこで、これまでの流れもあって、私もそういう小さい問題を取り上げてみることにしました。
というのは、大阪の府立和泉高校での国歌斉唱時の“口元チェック”問題の報道に関して、和泉高校の中原徹校長が自身のブログで反論するということがあり、これがテレビ朝日の「報道ステーション」に対して謝罪を求める署名集めにまでつながっているからです。私もこの問題は二度も取り上げているだけに、放ってはおけません。
 
中原校長のブログを読んだときは、お粗末な反論だなと思いましたが、1人の校長に対して批判するというのもあまり意味はないと思い、前回のエントリーでは「つまらない弁解です」ぐらいの表現にとどめておきました。しかし、今回はもう少し批判したいと思います。
 
「報道ステーション」が誤報したとするガジェット通信の記事
 
「報道ステーション」に謝罪を求める署名集めのサイト
 
中原徹校長のブログ「読売新聞の記事について」
 
中原徹校長のブログ「国歌斉唱について」
 
中原校長は、自分は前を向いて歌っていたのでチェックしたのは教頭と主席教諭である、時間にして5秒ぐらいだった、凝視して監視していたわけではない、とブログに書いています。
しかし、口元チェックをしていたことは否定しようもありません。とくに歌っていたかいないかを判断するのは、「一瞥」するぐらいではむりですから、やはり「凝視」していたに違いありません。そういうことで私は「つまらない弁解」と書いたわけです。
 
また、中原校長は「私自身、人が歌っているのをジーっと疑惑の目で監視するようなことを生徒の晴れの門出の舞台ですることには反対です」と書いています。しかし、教頭と主席教諭にはさせているわけです。自分がしたくないことを教頭と主席教諭にさせるというのはどうなのかとも思ってしまいます。
 
そして、ここがいちばん肝心のところですが、中原校長は「大阪の条例・職務命令に基づき、教頭が数秒間は起立・斉唱を確認しなければならないのです。これは絶対に行わねばなりません」と書いていますが、これは事実に反します。
府教委の通達には、「式場内のすべての教職員は、国歌斉唱に当たっては、起立して斉唱すること」と書かれていて、これが「職務命令」ということですが、この通達には「起立・斉唱を確認しなければならない」というようなくだりはいっさいありません。
 
府教委の通達
 
「起立・斉唱を確認しなければならない」というのは命令ではなく、中原校長と府教委とのやりとりの中で出てきたことです。一部繰り返しになりますが、校長のブログから引用します。
『私自身、人が歌っているのをジーっと疑惑の目で監視するようなことを生徒の晴れの門出の舞台ですることには反対です。だからこそ、府教委に確認をしました。その結果、「じっと凝視したり、近づいたりすることなく、遠目で確認してください」との回答をもらいました』
つまり、校長がもらったのは「命令」ではなく「回答」なのです。もちろん通達ではなく、文書の形でもないはずです。
 
私が想像するに、中原校長は府教委に電話して、歌っているのを確認するべきかどうか聞いたのでしょう。そして、「遠目で確認してください」と言われたのでしょう(誰かと面会していても同じことです)。
誰が言ったのか? 府教委に口はありません。府教委の誰かが言ったわけです。誰とは書いてありませんが、事務方の誰かでしょう。教育長かもしれませんが、その下の人間かもしれません。
 
教育委員会というのは、首長に任命された民間有識者などの教育委員と、事務方である役人とで成り立っています。教育委員のトップが教育委員長で、事務方のトップが教育長です。
これを文部科学省にたとえれば、中原校長は事務次官か局長あたりの意見を聞いて、それを「文部科学省の命令」だと言っているようなものです。そんなものは文部科学大臣や副大臣や政務官に否定されればおしまいです。
で、実際そうなりました。生野照子教育委員長やほかの教育委員が次々と中原校長のしたことを批判したのです。
 
中原校長は自分の行為を正当化するために、「大阪の条例・職務命令に基づき、教頭が数秒間は起立・斉唱を確認しなければならない」と事実に反することをブログに書いてしまいました。そして、それに“釣られた”人たちが変な署名集めの運動を始めて、問題が広がってしまったのです。
 
中原校長は人が歌っているのを疑惑の目で監視するのには反対だったということです。それなら、教育長にもそのことを主張すればよかったのです。もし教育長が強い口調で「監視せよ」と言ってきたら、教育委員に直訴するという手もありますし、自分の意志ではねつけてもよかったのです(教育長というのはただの役人です)。民間出身の校長なのですから、そういう役割も期待されていたはずです(私が最初に中原校長のブログを読んだときには、教育委員会の組織的な欠陥を指摘するくだりもあったのですが、現在は削除されています)。
 
国歌斉唱や起立問題など、教育の世界においてはまったくつまらない問題で、ほかにだいじな問題が山積されています。中原校長は自分の果たすべき役割をしっかりと自覚してほしいものです。
 
 
ところで、中原校長はなぜ「回答」を「命令」と書いたのでしょうか。もちろんそれは「命令」にしておけば自分の責任を問われることがないからです。犯罪行為の責任を問われた旧日本軍の軍人が上官の「命令」を盾に責任逃れをしようとしたことが思い出されます。「命令」で動く組織は、自分で判断しない、無責任な人間をつくりだします。