5月3日の憲法記念日に朝日新聞は、衆院の一票の格差が違憲状態となっている問題を大々的に取り上げていました。しかし、相も変わらず問題のとらえ方が偏っています。
 
「決められぬ」政治の象徴 一票の格差いつまで
  最高裁から「違憲状態」と指摘されたのに、衆院の「一票の格差」の是正が進まない。各党の利害が絡み合い、先送りを続けるさまは「決められない政治」の一つの象徴だ。「決定できる民主主義」を掲げる橋下徹・大阪市長からは、独自の憲法改正案という「挑戦状」が突きつけられた。
 「一日も早く(違憲状態を)脱却しなければならない」と野田佳彦首相(民主党代表)が呼びかければ、自民党の谷垣禎一総裁も「何をおいても解決しなければ」と応じる。2人は2月と4月のいずれの党首討論でも、一票の格差の早期是正に意欲を見せた。
 だが、選挙制度改革を話し合う衆院の各党協議会は16回の協議を重ねた今も、着地点すら見えない。
 
これを読むと、すべて国会あるいは政治家が悪いようですが、そんなことはありません。実際は、国会と裁判所と両方が悪いのです。
 
まず最高裁判決にある「違憲状態」という言葉ですが、これは「違憲」とは違います。「違憲状態」と「違憲」とどう違うのかについては一応法律的な説明がありますが、その違いにはあまり意味がありません。というのは、「違憲状態」であろうと「違憲」であろうと、選挙は有効だからです。
1972年衆院選と1983年衆院選について最高裁は「違憲」判決を出していますが、「違憲」判決が出たからといって、なんということもありません。つまり、選挙における「一票の格差」は違憲だが、選挙そのものは有効なのです。
 
ですから、国会議員が真剣に「違憲状態」の解消をはかろうとしないのもやむをえない面があります。つまり、宿題をやりなさいと言われているのですが、やらなくても叱られないようなものだからです。とりわけ議員定数の削減というのは国会議員にとっては身を切る改革ですから、お尻に火がつかない限りなかなかできません。
 
国会議員選挙が行われるたびに各地で「一票の格差」の大きさは違憲であるとして訴訟が起こされるのは、裁判所が国会を動かすような強い判決を出してくれることを期待しているからですが、裁判所はまったくその期待に応えていないということになります。そもそも最高裁の判例では、衆議院では2倍以上、参議院では6倍以上の差が違憲ないし違憲状態とされるのですが、これもひじょうに甘い基準といえます。
 
もちろん最高裁としても、選挙の無効を宣言してしまうと大混乱になるので、それは回避したいでしょう。だったら、「違憲状態」で選挙を行えば次は選挙無効の判決を出すというような警告を出すという手もあるはずです。
 
最高裁はめったに違憲判決を出さないことで定評がありますが、その最たるものが自衛隊違憲判決を回避したことです(長沼ナイキ基地訴訟)。違憲判決を出すと大混乱になることを恐れたからでしょうが、最高裁が自衛隊の合憲・違憲の判断を示さないものですから、政治家同士が合憲・違憲の意見を戦わせることになりました。しかし、合憲・違憲の決定は政治家の仕事ではありませんから、いくら議論しても結論の出るわけがありません。この議論に費やされた時間とエネルギーのむだは膨大なものです。
また、自衛隊が合憲とも違憲とも定まらないというのはまさに「国のかたち」が定まらないということで、日本の政治の劣化の大きな原因にもなっています。
 
現在、「決められない政治」という状況があるのは事実ですが、それは「決められない裁判」にも大いに責任があるのです。
しかし、マスコミはほとんどといっていいほどそのことを指摘しません。
なぜそうなのかというと、おそらく司法とか裁判所とか裁判官を権威としてあがめているからでしょう。
検察の権威はフロッピーディスク改ざん事件などで少し揺らぎましたが、裁判所の権威はマスコミにおいてまったく揺らいでいないようです。
 
裁判所は司法の世界において、警察や検察以上に権威です。
「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という言葉がありますが、これは権威についても同じです。権威は腐敗するのです。
地裁、高裁、最高裁と並べると、もちろん最高裁がもっとも権威です。行政訴訟を見ていると、地裁、高裁においてはけっこう住民側、国民側が勝訴することもありますが、たいてい最高裁でひっくり返されます。行政訴訟で原告側の勝訴率は10%程度といわれます。
つまり、地裁、高裁の裁判官はけっこう住民や国民を思いやる判決を下すのですが、腐敗した最高裁の裁判官にはほとんど思いやりの心がなく、利己心で判決を下します。裁判官も役人ですから、仲間に有利な判決を下してしまうのです。
最高裁の裁判官に国民のための判決を求めるのは、八百屋で魚をくれというようなものです。
 
マスコミでも主筆や論説委員などは権威ある人ですから、最高裁の裁判官と通じるものがあります。ですから、最高裁を批判することはできません。
 
この国の政治がだめなのは、マスコミも含めた権威が腐敗しているからです。