韓国で仏教の僧侶がギャンブルをしながら酒を飲んだりタバコを吸ったりしている映像が公開され、韓国で大きな騒ぎになっているようです。宗教者は高潔な人だと信じている人にはショックなことでしょう。
 
韓国僧侶が徹夜賭博 隠し撮り映像で暴露
韓国で、仏教の最大宗派、曹渓宗の僧侶らが酒を飲んだりたばこを吸ったりしながら、徹夜で賭博に興じる姿を隠し撮りした映像が暴露され、宗派幹部6人が11日までに引責辞任を表明するなど大きな波紋を呼んでいる。韓国メディアが同日報じた。
 映像は、南部長城のホテルで4月23日の夜に撮られたとみられ、宗派の行事で集まり宿泊していた僧侶8人が翌朝まで、約13時間延々と賭博を続けていた。
 反主流派の僧侶が「動いた金は1億ウォン(約700万円)以上だ」と主張して映像を公開、9日に検察に告発した。(共同)
[ 2012511 21:51 ]
 
ギャンブルをしていたのは、一部の下っ端僧侶ではなくて、ある程度の地位の僧侶のようです。となると、この教団の腐敗はかなり深刻で、6人の幹部が辞任すれば解決するという問題とは思えません。
 
権威ある教団の腐敗ということでは、カトリック教会の性的虐待事件が思い起こされます。
これはカトリックの聖職者が学校、孤児院、神学校、聖歌隊などの子ども(多くは少年)を性的に虐待したという事件で、昔から広範囲に行われていたらしいところに深刻さがあります。
ウィキペディアの「カトリック教会の性的虐待事件」の項目から、事件の発端のところだけ引用しておきます。
 
アメリカ合衆国で最初にこの件に世間の注目を集めたのはボストン・グローブ紙であった。20021月、同紙はボストン教区の教区司祭ジョン・ゲーガン神父が、六つの小教区に携わった30年にわたる司祭生活の中で、述べ130人もの児童に対する性的虐待を行って訴訟を起こされたこと、またカトリック教会はゲーガンに対しなんら効果的な処分を行わず他の教会へ異動させただけで、それが事態を悪化させてきたと、特集を組んで報道した。ゲーガンは1991年の虐待事件に関して起訴され、1998年に聖職停止(司祭としての職務の剥奪)処分を受けていた。ゲーガンは2002年に禁錮9 - 10年の実刑判決を受けたが、2003823日にソーザ・バラノフスキー矯正センターで他の収容者に暴行されて死亡した。
 
このスキャンダルが発覚した後、6月には250人が解任されるという事態となったが、聖職は剥奪されなかった。そのため、アメリカ国民はこの「温情ある方針」に激怒した。米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は2003111日、過去60年間で米国カトリック教会の1200人を超える聖職者が、4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じた。さらに、2004216日には米CNNテレビで1950年から2002年にかけての52年間で、神父4450人が疑いがあると報道し、件数は約11000件に上ると報じた[8]。これはその期間中における神父の人数11万人の内の4%である。約11000件中立証できたのは6700件、立証できなかったのは1000件、神父が死亡したなどの原因で調査不可能になってしまったものが3300件であった[9]。しかも被害者団体はこれに対しても「司祭らは長年にわたり(性的虐待を)隠そうとしてきた。すべての真実を示すものではない」と批判した。
 
ボストン大司教バーナード・ロー枢機卿は、自身の教区に属するゲーガンへの対応に関して、世論の厳しい批判を受け、20021213日に辞任に追い込まれた。ロー枢機卿はゲーガン神父の問題行動に関しての報告をたびたび受けていたにも拘らず、効果的な対応を行わなかったとされる。ロー枢機卿の後任となったショーン・オマリー司教は被害者への賠償金の支払いなどの1200万ドルともいわれる多額の裁判費用の捻出のため、教区資産の売却を余儀なくされた。
 
教区の責任者としてロー枢機卿が厳しい批判を受けることになったのは、同教区でこのような問題が起こったのはゲーガンが初めてではなかったからである。かつて同教区の司祭であったジェームズ・ポーターが1950 - 60年代に、少なくとも125人の子どもへの性的虐待を繰り返して教区内で問題になり、本人も自身の性的嗜好の問題に苦悩して長上に相談し、さらには逮捕までされているにも関わらず、なんら実効的な対処が行わず、教区内を転々とさせるだけであったということが明らかになったのだ。ポーター自身は1974年に司祭職を離れて結婚生活を送るようになったが、1990年代にかつての被害者が名乗り出たことから、マスコミが彼の過去を次々に暴きだすことになった(ポーターは家庭生活を送っていた1984年になってもベビーシッターの少女への性的虐待を行ったとされている)。1993年、ポーターは多くの性的虐待の罪で懲役18 - 20年の実刑判決を受け、2005年にガンのため獄中で死去した。
 
同様の事件はアメリカだけでなく、ドイツ、オーストリア、アイルランド、イギリス、オランダ、スイス、ノルウェー、オーストラリア、メキシコなどでも表面化し、多くのケースで教会の上層部が事件を隠ぺいしようとしていたことも批判されました。
 
子どもへの性的虐待というのは人間としても最低の行為ですが、それが一部の不心得者といえないほどに広く行われ、さらに上層部の処分が甘いというのも見逃すことはできません。上層部に倫理観が欠けているのか、あるいは上層部も悪しき“伝統”に染まっているのかとも疑われます。
 
ただ、事件の深刻さのわりに、世の中の反応は薄いようにも思われます。カトリック教会の権威を維持したい人はどうしてもこの事件を過小評価するからでしょうか
 
しかし、権威ある集団ほどその内部は腐敗堕落していると思ったほうがいいと私は考えています。
というのは、世間の目が甘いとそれだけ腐敗堕落しやすいからです。
もちろん権力も腐敗堕落しやすいものです。
ですから、権力も権威も腐敗堕落していると考えておいて、ほとんどの場合間違いありません。
 
あの韓国の教団の僧侶たちもカトリック教会の神父たちも、修行に入ったばかりの若いころは純粋な心を持っていたでしょう。しかし、年を取るとともに純粋な心は失われ、また組織の悪しき伝統に染まって、腐敗堕落した人間になっていったわけです。
 
こうしたことはあらゆる世界に見られます。
たとえば、政治家を志す人の多くは、世のため人のためにという思いから政治家を志すのだと思いますが、当選回数を重ねるにつれ、世のため人のためという思いは薄れていき、自分が当選するため、自分の利益のために政治をするようになっていきます。
大学を出て官僚を志す人も、最初は国家国民のために働きたいという思いを持っているはずですが、年をへるにつれてその思いは薄れていき、官僚組織の悪しき伝統に染まって、省益のため、自分自身の天下りのために働く官僚になっていきます。
ですから、政治家や官僚が国民のためによいことをやってくれると期待するのはまったく愚かなことです(政治家や官僚を国民のために働かせるには国民の徹底的な監視が必要です)
 
人は年を取るとともに堕落し、また権威や権力を持つほどに堕落する。これは法則といっていいほどに確かなことです。
この法則を通して世の中を見ると、世の中のあり方がはっきりと見えてきます。
 
もっとも、この法則が正しいとすると、自分も多かれ少なかれ堕落した人間だということになりますから、この法則を認めたくないという人も多いでしょう。そういう人は逆に、人は年を取るほどよい人間になっていくなどと考えたりしますが、そういう考えに立つと、世の中のあり方がまったく見えなくなります。
こうした見方は要するに自己中心的なものですから、天動説的価値観といえます。
私のいう法則は、地動説的価値観ということになります。
もちろんどちらが正しいかは言うまでもないでしょう。