こんなバカなことになるとは思っていませんでした。大阪市の職員を対象にした刺青調査のことです。
橋下徹大阪市長は、市の児童福祉施設の男性職員が腕の刺青を見せて子どもを脅したという出来事をきっかけに、市職員の刺青を禁止する方針を表明し、さまざまな刺青バッシングの発言をしました。しかし、そのうち本人も自分の考え違いに気づくだろうと私は思っていましたが、いまだにしつこくやっていたわけです。
 
大阪市職員110人が入れ墨
 大阪市は16日、教育委員会を除く全職員約3万3000人を対象に実施した入れ墨の有無を尋ねる調査で、110人が入れ墨をしていたとの調査結果を発表した。同日午後の服務規律に関する会合で、職員倫理規則に入れ墨禁止の規定を新たに設けることや、既に入れ墨がある職員に消去を指導する方針を確認した。
 
 調査は橋下徹市長の意向で1~10日に書面で実施。記名式で回答を義務付け「人権侵害に当たる」との指摘もあるが、橋下市長は入れ墨をしている職員を市民の目に触れる職場に配置しないなど調査結果を人事に反映させる方針だ。
 110人の内訳は、ごみ収集などを行う環境局が73人と最も多く、次いで市営地下鉄やバスを運行する交通局が15人、建設局が7人など。
  首から上、膝から足先まで、肩から手の指先までの人目に触れやすい部分については回答を義務付け、普段は服に隠れて見えない胸や腹、背中などの部分は任意回答。入れ墨やタトゥーの有無のほか、彫った部位や大きさも尋ねた。
  橋下市長は同日、市役所で記者団に「若者がファッションで(タトゥーを)入れる風潮も分かるが、市職員としてはだめだ。どうしてもやりたいなら公務員を辞めて個性を発揮したらいい」と述べた。
 
「どうしてもやりたいなら公務員を辞めて」などと過激なことを言っているようですが、よく読むと、内実は違います。刺青の職員を市民の目に触れる職場に配置しないようにするということですから、辞めさせるわけではありません。
服に隠れて見えない部分については任意回答にするというような配慮もしています。
刺青がある職員に消去を指導する方針ということですが、これも実際は困難でしょう。身体に手を加えるという問題ですし、医者の費用を誰が支払うのかという問題もあります。
 
橋下市長の間違いは、ヤクザの刺青とおしゃれとしてのタトゥーをいっしょにしてしまったことです。おしゃれとしてのタトゥーにはなんの問題もありませんし、また、服に隠れて見えないところとなると、さらに問題はありません。
 
では、ヤクザの刺青は問題かというと、私の考えではこれも問題はありません。つまり、ほんとうはヤクザの刺青もおしゃれとしてのタトゥーも同じなのです。なぜならヤクザにも私たちと同じ人権があるからです。このへんのことは次のエントリーで書きました。
「橋下氏の刺青差別発言」
 
それにしても、なぜ橋下市長は刺青はよくないという考えを持つようになったのでしょうか。
ひとつには、サウナや公衆浴場などによくある「刺青の方の入場お断り」という張り紙に影響されたということが考えられます。しかし、あれは警察が指導して張らせているものです。警察の判断を無批判で受け入れてはいけません。
刺青のある人は浴場に入れないなんていうことがあっていいわけありません。これはもう、人間としての常識で考えればわかることです。
数日前の朝日新聞にも、最近は浴場などでもこうした表示をしないところがふえていると書いてありました。
 
もうひとつ考えられるのは、学校の影響です。
日本の中学高校は、ありとあらゆる細かいことを規制します。服装から髪形から、要するにあらゆるおしゃれを禁止するのが日本の学校です。もちろんピアスも茶髪も禁止です。たぶん刺青禁止という校則はあまりないでしょうが、それはいうまでもないことだからです。
 
こういう学校で育つと、やたら人の服装やおしゃれを規制したくなる人間になってしまいます。たとえば、企業の人事担当者もそうですから、就活の学生は否応なしにリクルートスーツを強いられるわけです。
 
橋下市長の頭の中では、役所と学校というのは同じ原理で運営されるべきだということになっているのでしょう。つまり橋下市長のやろうとしているのは役所の学校化です。
そして、多くの人がこのことにあまり疑問を感じず、むしろ賛成しているようです。
 
イヴァン・イリイチという思想家は、社会が学校の価値観でおおわれていることを「学校化社会」と表現しました。
日本の現状もまさに学校化社会となっています。しかも、日本の学校は細かいことを規制するので、日本社会も細かい規制で息が詰まりそうになっています。
こういう社会からは、大胆で斬新な発想は生まれてきません。これは日本経済が低迷する一因ともなっています。
 
橋下市長は、競争原理による学力向上を実現するための学校改革に熱心ですが、今の社会に必要なのは学力よりも創造性でしょう。そのためには自由な学校でなければなりません。
 
しかし、橋下市長も多くの日本国民も自由な学校というのを知らないため、そういう方向の改革というのは想像もできないようです。
 
だめな教育はだめな人間をつくります。
そして、だめな人間はだめな教育をします。
こうして“だめスパイラル”に入っているのが今の日本です。