さすがに全国紙ではほとんど取り上げていないようですが、週刊誌やネットで話題になっているのがお笑い芸人河本準一さんの母親が生活保護費を不正受給していたのではないかという問題です。国会議員までが取り上げていますが、有名芸能人とはいえ、あくまで個人の問題です(厳密には有名芸能人の母親の問題です)。国政の場で個人の問題を取り上げていいのでしょうか。
 
片山さつき「河本を罰するのが目的ではないがグレー許さん」
お笑いコンビ・次長課長の河本準一(37才)の「母親生活保護不正受給疑惑」。自民党参議院議員の片山さつき氏や世耕弘成氏がネット上で言及し、厚労省に調査を依頼するなど、その波紋は広がるばかりだ。
 推定年収5000万円という河本だが、母親のことは扶養していないと主張している。これだけの高給取りでありながら、母親ひとり養えないというのは本当なのだろうか…。
 生活保護を受けようと思う人は、原則として本人が居住地の自治体窓口に申し出なければならない。自治体ではその際、本人の預金通帳や給与明細のコピー、年金の照会書などの提出を受け、その人が実際に生活保護が必要なほど困窮しているかどうかを調査する。
 だが、調査の範囲は、あくまで申し出人本人に限られる。ある自治体の担当者がその調査の限界について打ち明けた。
 「生活保護を希望する本人の収入や財産についてはできる限り調査します。しかし、調査権は別居している家族にまでは及びません。『扶養照会』といって、お子さんなどご家族の方に扶養する能力があるかどうかを調査することにはなっています。収入を証明する書類の提出もお願いします。が、それでも“経済的余裕がない”といわれてしまえば、それまでなんです。
 仮にお子さんに何千万円もの収入があることがわかっていても、借金を背負っているといわれればそれまでです。本人以外の経済的な事情を強制的に調査する権限は、法律上、市区町村にはないんです」
 親に生活保護を受けさせるか否か。それはこの場合、扶養者=子をはじめとする家族と、被扶養者=親、双方のモラルに委ねられる部分が大きい。そしてそこに、生活保護制度をめぐる“グレーゾーン”が広がる余地がある。
 だからこそ片山氏はいう。
 「非常に問題なのは、売れっ子芸人として若者たちにとても大きな影響力を持つ河本さんほどの立場の人が、生活保護をめぐるグレーゾーンについてきわめて鈍感であることです。この問題を取り上げるのは、彼を罰することが目的ではありません。ただしこのケースも含め、グレーは許さない、あくまで黒にしていくよう国会で取り上げ、法改正をしていかなければならないと思っています」
  ※女性セブン2012531日号
 
昔あった「噂の真相」という雑誌は、芸能人はオピニオンリーダーという面もあり、選挙に出て政治家になる可能性もあるので、公人に準じる“見なし公人”であるという理屈で芸能人のプライバシーを書きまくっていました。しかし、政治家が母と子の関係という個人のプライバシーを取り上げるのはまた別の問題です。
片山さつき議員や世耕弘成議員はネット情報に敏感な政治家です。いわば“2ちゃん脳”の持ち主なので、個人のプライバシーには鈍感なのでしょう。
 
しかし、これからはこうしたことが政治の場でどんどん取り上げられるようになるでしょう。というのは、アメリカの保守派がもっとも重視するのが「家族の価値」だからです。片山議員や世耕議員のような日本の保守派も基本的には同じですから、これから日本でも「家族の価値」が重視されるようになっていくでしょう。
となると、母と子の関係はプライバシーだとばかりはいえなくなってくるかもしれません。
 
そこで、もうすでにプライバシーが表面化してしまったので、河本準一さんと母親との関係について考えてみることにします。
 
河本準一さんがかなりの高所得者であることは間違いないでしょう。そして、生活保護制度では三等親内の血族には扶養義務があるということですから、河本準一さんが母親の生活の面倒を見るべきだというのが、片山議員や世耕議員に限らず世の中の多くの人の考え方でしょう。
しかし、それはあくまでまともな家族関係を前提とした話です。河本準一さんと母親との関係がまともでなければ、扶養義務はありません。早い話が、子どものころ母親に虐待されていて、今も怨みに思っているというのであれば、母親の扶養を拒否しても許されます。
 
では、河本準一さんと母親の関係はどうだったのかということになりますが、これはまさにプライバシーのもっとも深い部分です。そういうところまで政治家や一部マスコミは踏み込んでしまっているわけです。
 
もっとも、河本準一さんの場合は母親のことを笑いのネタにしています。河本さんのオカンネタは確実に笑いの取れる“鉄板ネタ”だということです。そして、それをもって河本さんと母親の関係はよいはずだと考える人がいます。
しかし、これは考え違いでしょう。たまたま5月20日の朝日新聞に漫才コンビ「ナイツ」の塙宣之さんの言葉が載っていて、それによると、学校時代のある日、テレビで芸人が自分のコンプレックスを笑いに変えて、笑いをとっているのを見て、自分もイジメにあっていたコンプレックスを笑いに変えたら、その日以来イジメはなくなり、人気者になったということです。
つまり笑いのネタというのはたいていコンプレックスがもとになっているのです。たとえば自分はブサイクであるとか、バカであるとか、女にもてないとか。
河本さんがオカンをネタにしたのは、それが自分にとってのコンプレックスだったからでしょう。
ちなみに既婚者の男の芸人で、芸能人を妻にしている人を別にすれば、自分の妻の言動を笑いのネタにする人はまずいません。ほとんどの場合、それをすれば妻を笑いものにしたということで、妻との関係が壊れてしまうからです。
河本さんの場合、母親の存在が自分にとってのコンプレックスで、すでに母親との関係が壊れているか、壊れてもいいと思ったから母親を笑いのネタにしたのではないかということが十分に想像できます。
 
河本さんは2007年、「一人二役」という本を出版しています。これは自分と母親のことを書いた本で、母親は離婚後父親役も兼ねるようになったという意味で「一人二役」という題名になっているそうです。この本の印税がかなりの額になるので、それも河本さんを非難する材料に使われています。
 
私は「一人二役」という本は読んでいませんが、内容は母親を讃えるものであるようです。しかし、それを額面通りに受け止めるわけにいきません。題名のように母親はやさしさときびしさと両面を持った人だったのでしょう。河本さんは母親のきびしさがトラウマになっていて、それをなんとか糊塗するためにこの本を書いたということがやはり十分に考えられます。
たとえば、親から暴力をふるわれたことがトラウマになっている人が「親がきびしく育ててくれたおかげで今の私があるのだ」というふうに暴力を肯定するのと同じ原理です。
31歳の若さで自分と母親との関係を一冊の本に書いた動機はなにかと考えてみると、河本さんの心の葛藤が想像できるはずです。
 
私がここで書いたことはすべて私の想像ないしは推測ですから、それが正しいと主張するわけではありません。
しかし、片山議員や世耕議員や世間の多くの人は、まったく逆の推測に基づいて河本さんを非難しているわけです。
どちらが正しいかは今の時点ではわかりません(というか、河本さんと母親以外にはわかりません)
河本さんを非難している人たちは、自分の非難がなんの根拠もない推測に基づいていることを知らねばなりません。
 
 
これからは政治の世界でも、こうした家族のあり方がどんどん取り上げられるようになるでしょう。
たとえば、「大阪維新の会」が「家庭教育支援条例案」なるものを発表し、結局取り下げましたが、これも家族関係が政治の場に持ち出された一例です。
ちなみに橋下徹大阪市長は体罰肯定論者ですが、石原慎太郎都知事は戸塚ヨットスクールの支援者で、かつて「スパルタ教育」なる本をものしています。
政治の世界では、右翼や左翼、保守や革新という概念がほとんど意味を持たなくなっています。代わって家族観の違いが新しい対立軸になっていくでしょう。
 
原発は“安全神話”にささえられていました。
古い家族観は“愛情神話”にささえられています。
これからは「愛情のある家族」と「愛情のない家族」がきびしく仕分けされていく時代です。