偶然同じ5月25日に、裁判関係の大きなニュースがふたつありました。ひとつは、肺がん治療薬の副作用についてのいわゆるイレッサ訴訟で、大阪高裁(渡辺安一裁判長)は国と企業の責任を認めず、原告側逆転敗訴となったというニュースです(大阪地裁の一審判決では企業の責任は認められていました)。もうひとつは、いわゆる名張毒ブドウ酒事件で、名古屋高裁(下山保男裁判長)は奥西勝死刑囚の再審請求を棄却する決定をしたというニュースです。私は両事件については詳しくありませんが、裁判所は相変わらずだなあと思って、ニュースを聞いていました。
 
26日の朝日新聞朝刊に、例によって裁判員制度3周年ということで、映画監督の周防正行さんのインタビューが載っていました。周防さんは痴漢冤罪事件を扱った映画「それでもボクはやってない」の脚本・監督をしたことがあり、裁判についてはかなり詳しい方です。その周防さんはインタビューの中でこんなことを語っています。
 
刑事裁判の不条理を問うた映画「それでもボクはやってない」(2007)の取材で行き着いたのは、日本の刑事裁判を悪くしたのは裁判官だという結論でした。一人ひとりはとても優秀な人たちなのに、99.9%という有罪率が前提となり、裁判所という組織の判断を重んじる人材ばかりが優遇される背景もうかがえました。裁判官が変われば、日本の刑事裁判は変わると思っています。
 
「日本の刑事裁判を悪くしたのは裁判官だ」とここまではっきりと言える人は日本にはなかなかいません。
新聞の司法担当記者などは裁判の事情にそうとう詳しいはずですが、こういうことは言いません。
 
司法は立法、行政とともに三権を形成しています。立法、行政、つまり国会と内閣は日々マスコミの批判の対象になっています。政治家、閣僚は名指しで批判されています。しかし、裁判官は名指しで批判されることはまずありません。
 
いうまでもないことですが、判決は裁判官の価値観によって左右されます。
西部劇には「縛り首の判事」というのが出てくることがあります。つまりなんでもかんでも縛り首の判決を下すので有名な裁判官で、その裁判官に当たった犯人はがっくりするというわけです。
日本では、少年犯罪の裁判には温情派の裁判官と厳罰派の裁判官に分かれる傾向があるといわれます。これは一般の人でも体罰賛成派の人と体罰反対派の人がいるのと同じようなものでしょう。
 
映画「それでもボクはやってない」について検索していたら、映画評論家兼弁護士の坂和章平という方のブログにこんな記述がありました。
 
判決は裁判官が下すものだから、裁判官がどんな価値観・人生観を持っているかが決定的に重要だが、一般的に裁判官の個性やカラーは表示されないため、容易にそれを知ることはできない。田舎の裁判所であれば、裁判官も弁護士も数が少ないから、それぞれのキャラをお互いに理解しているが、東京地裁の大きさになると、その事件ではじめて顔を合わせる裁判官というケースがほとんどだから、弁護士だって裁判官のキャラを全然知らない人が多いはず。
 そんな場合大切なのは、裁判官の訴訟指揮のやり方や証人尋問への介入の仕方そして自らの尋問(補充尋問)における質問内容に注目し、裁判官の考え方を理解すること。一人前の弁護士ならそれに注視していれば、裁判官がどんな心証を形成しているのか、ほぼ正確に予測がつくはず・・・。
 
そんな弁護士の目で見ると、最初に金子徹平事件を担当した大森裁判官は無罪判決を書く裁判官として有名だというだけあって、「疑わしきは罰せず」を地でいっている実に珍しい裁判官。これは、行政訴訟で住民側勝訴、行政側敗訴の判決をたくさん書いて有名となった、かつての東京地裁の藤山雅行裁判官と同じような異例中の異例。大森裁判官が司法修習生に対して、刑事裁判における原理・原則を心の底から熱く語っている姿を見ると、きわめて感動的。
 ところが、徹平や荒川弁護士にとって不運だったのは、審理の途中で裁判官が大森裁判官から室山裁判官(小日向文世)に交代したこと。裁判官に定期的な転勤があるのはやむをえないが、裁判官の交代が致命的な影響を与えるケースは多い。しかして、室山裁判官の訴訟指揮と証人尋問の内容は・・・?彼の訴訟指揮、すなわち、証人尋問への介入や自らの質問そして弁護側申請の証人採否の判断等がかなり偏ったものであることは、一目瞭然。荒川弁護士ほどのベテランになれば、これを見ているだけで、こりゃいくら弁護側が頑張ってもムリ、つまり、結論ありきの判決になることは予測できたはず・・・?
 
マスコミは判決の内容は報道しますが、明快に判決を批判することはありません。せいぜい解説文に批判的なニュアンスが感じられることがあるくらいです。
もちろんマスコミが裁判や判決を批判していけない理由はなにもありません。間違っていると思えば堂々と批判すればいいのです。
その際、裁判官の名前はもちろん、その裁判官の人となりも紹介しつつ批判してほしいものです。そういう人間くさい部分に多くの人は反応するからです。
 
それから、最高裁判所裁判官国民審査というのもずいぶんひどい制度です。この国民審査は総選挙と同時に行われ、無記入は信任と見なすことになっているので、絶対確実に全員が信任されてしまいます。これでは審査の意味がありません。
こんなおかしな制度ですが、批判しているのは一部の人たちだけです。マスコミはまったく批判しません。
こんなおかしな制度をみずから改めようとしない最高裁の裁判官も、まともではありません。
 
マスコミや国民は政治家ばかり批判していますが、その同じくらいのエネルギーを裁判官批判に向けてもいいはずです。