お笑い芸人河本準一さんの生活保護費不正受給の話題が盛り上がっています。
といって、河本さんが生活保護費を不正受給したわけではありません。生活保護費を受給しているのは母親だからです。
では、母親が不正受給したかというと、そうともいえません。河本さんが十分な仕送りをしていないなら、母親が生活保護費を受給するのは正当です(ほかの条件は無視しての話ですが)
ですから問題は、河本さんが十分な収入があって母親を扶養することができるのに扶養していなかったという「扶養義務違反」があったのかなかったのかということです。
これについて私は、親子関係というのは外部からはうかがい知れないことがあるので、単純には判断できないと主張しています。
 
そもそも「扶養義務」の基準が明確でないという問題もあります。
これに関しては法令で基準を明確化するべきだという意見も出てきています。しかし、親子、兄弟の関係にそうした法的義務を持ち込まれるのは、誰にとってもうれしいことではないはずです。
そもそも人類の歴史は大家族から核家族へと、家族関係や親族関係が希薄化する方向へと進歩()してきました。今では結婚して家族をつくることすら困難になり、孤独死がふえています。ですから、親族だから扶養しろという発想が時代に合わなくなってきているのです。福祉制度もそれに合わせることが必要だと思います(私は家族関係の希薄化がいいことだとは思いませんが、家族関係に法的義務を持ち込んでも家族関係がよくなるとは思えません)
 
河本さんにも問題はあったかもしれませんが、そこに片山さつき議員が出てきて話がこじれてしまいました。政治家という権力者が芸能人とはいえ個人を攻撃したからです。
 
私は物事の判断基準として、「弱きを助け、強きをくじく」という原則を持っています。強者と弱者が戦っていたら、とりあえず弱者に味方することにしています。例外がないとはいえませんが、それでたいていは正しいはずです。
 
ということで、私はとりあえず河本さんの味方をしたわけですが、世の中には片山議員より河本さんのほうを非難する人もたくさんいます。こういう人の心理はどうなっているのでしょうか。
 
何年か前、タレントのあびる優さんが万引きしたことをテレビで告白し、そのためとくに2ちゃんねるで大バッシングを受けるということがありました。私は芸能界の末席にいる弱い立場の若い女性タレントを攻撃してなにが楽しいのだろうと思っていましたが、あるとき考え直しました。私は彼女を弱い立場の人間と思っていましたが、多くの2ちゃんねらーにとっては、彼女は自分よりも人気も収入もある強い立場の人間なのです。ですから、弱い者いじめをしているという意識はまったくなかったのでしょう。むしろ自分たち弱い者が力を合わせて強い者と戦っているぐらいの意識だったかもしれません。
 
しかし、これは“自分基準”です。自分より強いか弱いかで判断しているわけです。
 
河本さんは私より間違いなく人気も収入もある人間です。しかし、私はそんなことで物事を判断したりしません(たいていの人もそのはずです)。片山議員が出てきたら、片山議員対河本さんではどちらが強いかで判断します。
 
“自分基準”の人にとっては、片山議員も河本さんもどちらも自分より強い人です。そうなると、より攻撃しがいのある(人気稼業なので)河本さんを攻撃するという判断になるのでしょう。
 
あと、河本さんのほうには「不正」というレッテルが張られているということもあります。片山議員の行動にはいろいろ批判がありますが、「不正」というレッテルは張られていないようです。
ちなみに私は、「不正」だの「正義」だの「善悪」だので物事を判断することはありません。「正義」や「善悪」というのは権力者につごうよくつくられているものだからです。
 
2ちゃんねるでフジテレビ批判というのも一時盛り上がりましたが、これもフジテレビの社会的位置や役割など関係なしに、“自分基準”で攻撃しがいのあるところを攻撃したのでしょう。右寄りの人がフジサンケイグループを攻撃するなどおかしいのですが、テレビ局は視聴率とスポンサーを気にするだろうから攻撃しがいがあると判断したわけです(実際はぜんぜん攻撃しがいがなかったわけですが)
 
世の中は権力、権威、貧富、差別などが入り組んだ複雑な階層社会になっており、それを見抜いて物事を判断しなければなりません。しかし、“自分基準”の人たちは、社会のあり方とはかけ離れた行動をしてしまい、社会から浮き上がってしまいます。
最近、こうしたことがはっきりと見えてきているのではないでしょうか。