クラブやディスコは午前0時(東京都は午前1時)までしか営業できないというのは初めて知りました。現実に深夜営業をしている店があるのは、風営法の許可を取らず飲食店として営業し、そこで踊らせているわけです。もちろん、これも無許可営業ということで違反ですが、これまでは警察もある程度大目に見てきました。しかし、最近警察の方針が変わってきたようです。
そこで、風営法の改正を求める署名運動が始まったというニュースです。
 
朝まで踊れるクラブ取り戻せ 規制撤廃求め全国署名活動
風俗営業法の適用によるクラブの摘発が各地で相次ぐ中、利用者やアーティスト、経営者らが29日、深夜にダンスをさせても風営法の適用対象にならないよう求める全国署名運動を京都市で始めた。「クラブは若者の表現の場。楽しみを奪わないで」。都市部を中心にクラブカルチャーが衰退している現状を訴えた。
 
■「表現の場 奪わないで」
 
 「ダンスが法律で規制されていること、ご存じですか」。京都・河原町三条の街頭で、クラブ利用者や法律家、経営者らでつくる署名推進委員会のメンバーが呼びかけると、若者らが足を止めて署名に応じた。目標は10万人。坂本龍一さんや大友良英さん、いとうせいこうさんら著名アーティストも呼びかけ人に名を連ねる。
 
 2010年12月に大阪・アメリカ村のクラブ経営者が無許可営業容疑で逮捕されて以来、京都や福岡、東京など各地で摘発が続く。大阪府警保安課は「客のけんかや騒音など近隣から苦情があり、取り締まりに乗り出した」と説明する。
 
 署名推進委のメンバーで、学生時代からクラブに通ってきた西川研一弁護士(41)は29日、京都府庁で会見し、「風営法による取り締まりは表現の自由への過度な侵害。ごく一部にドラッグや騒音の問題があるとしても、個別の法律で対応すべきだ」と訴えた。
 
 
警察の取り締まりは法に則っていて、正しいことなのですが、恣意的であるという問題があります。「客のけんかや騒音など近隣から苦情があり」ということですが、苦情は今に始まったことではないはずです。なぜ今取り締まりを強化しているのでしょう。
 
風営法違反が常態化している業界はほかにもあります。たとえば麻雀店です。
多くの麻雀店は午前0時で店を閉めますが、深夜営業をする麻雀店も少なからず存在します。そういう店ではもちろん賭け麻雀が行われています。つまりここには風営法違反と賭博禁止法違反というふたつの違法行為があるわけです。
警察はもちろんそのことはわかっているのですが、取り締まりをしません。たまに摘発をすることがありますが、これはタレコミがあったりしたために放っておけない場合だけです(マンガ家の蛭子能収さんが新宿歌舞伎町の麻雀店で逮捕されたことがありましたが、これは珍しいケースです)
深夜営業の麻雀店では深夜に人の出入りがあるので、近隣に迷惑をかけている場合も当然あります。
 
麻雀店の違法営業は放置して、クラブだけ取り締まるのはおかしな話です。
もちろん私は麻雀店の違法営業を取り締まれと主張しているのではありません。それをやると麻雀賭博が地下にもぐり、犯罪組織と結びつく可能性が大です。警察もそれがわかっているわけです。
 
麻雀店を取り締まらないなら、クラブも取り締まらなくていいと私は思うのですが、警察幹部の考えは違うようです。
 
ところで、島田紳助さんのことが騒がれていたころと比べて、最近暴力団のことがあまりマスコミに出ないことに気づかれたでしょうか。これは明らかに警察の方針が変わったのです。
20096月、警察庁長官に就任した安藤隆春氏は、暴力団取り締まりに力を入れ、全国に暴力団排除条例の制定を進めました。そのため警察と暴力団の緊張が高まり、暴力団取り締まりのニュースもよくありましたし、島田紳助さんのことも騒がれたわけです。
ところが、安藤長官は201110月、もっと長く務めると思われていたのに突然退任しました(警察庁内部で路線対立があったのでしょう)。後任の片桐裕長官はどうやら安藤氏のようには暴力団取り締まりに熱心ではないようで、そのため最近は暴力団関係のニュースがめっきりへったというわけです。昨年末の紅白歌合戦も暴力団と芸能人の交遊はまったく問題とされませんでした。
 
警察の取り締まりの方針はこのように恣意的なものです。マスコミはもっとそのへんを報道してほしいものです。
 
私が思うに、クラブの取り締まり強化は、警察幹部が学校秀才であることと大いに関係があります。つまり学校秀才というのは、不良っぽい若者が集まって楽しそうに騒いでいると、やたらと取り締まりたくなるのです(自分たちはそういうことがやりたくてもできなかったので)
 
たとえば青森ねぶた祭りでは1990年代、カラス族といわれる若者集団が大量に出現し、騒ぎを起こすということがありました。しかし、それだけでは取り締まれないので、警察は迷惑行為等防止条例を制定して取り締まり、カラス族を祭りから排除してしまいました。
同じころ、広島の胡子大祭という祭りに暴走族が多数集結し、警官隊と衝突するという事件が起きました。そのため広島県警は暴走族追放条例を制定し、祭りから暴走族を排除してしまいました。
 
このころ日本はバブル崩壊による不景気の真っただ中で、とくに地方は若者の数も少なく、活力が失われていました。そうした中、地方に元気な若者が出現したわけです。ところが、警察やその他の人たちは、元気な若者を盛り立てるのではなく、逆に排除してしまいました。これは私の目にはまったく異常なことと映りました。
若者が祭りの日に集まって騒ぐのは当たり前のことです。そうした騒ぎが形式化されて今の祭りになっているものもたくさんあります。
日ごろあまり楽しみのない地方の若者にとって祭りの日は特別の楽しみです。昔のおとななら若者が多少ハメを外しても大目に見ていたはずですが、今の大人にはそうした余裕が失われたのかもしれません。
それはともかく、元気のある若者を取り締まっていては、日本全体の活力が失われてしまいます。
 
そもそも創造的な発想というのは、品行方正とか規律正しさとかと対極のところにあります。
 フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」には、ザッカーバーグらがドラッグをやりながら乱交パーティをしていると警察に踏み込まれるというシーンがあります。そういうことをしながらザッカーバーグは大型上場として株式市場で大きな話題になる企業を育て上げたわけです。
かたや日本では、ヒルズ族が盛り上がっていましたが、その代表的存在のライブドアの堀江貴文氏がなんだかよくわからない罪状で塀の向こうに落とされてしまいました。
堀江氏以降、若者のオピニオンリーダーといえる人物は出てきていません。
 
日本をだめにしているのはなにより警察司法官僚だと、つくづく思います。