お笑い芸人河本準一さんの母親が生活保護を受給していたことがいまだに波紋を広げています。
最初は生活保護費の「不正受給」という言葉で報道されていましたが、河本さんが生活保護費を受給しているわけではないので、この表現は間違いです。一時は「河本さんが母親に生活保護費を不正受給させていた」という表現をするマスコミも見かけましたが、この表現は母親の人格を無視したものなので、これも不適切です。
 
実際は、河本さんが親族としての扶養義務を果たしていなかったという「道義的責任」の問題です。今はこのことが認識されてきています。
 
もっとも、それによって議論が困った方向に行っています。
たとえば自民党は、「生活保護に関するプロジェクトチーム」座長の世耕弘成参院議員が受給者の親族に扶養義務を徹底させる生活保護法改正案を議員立法で今国会に提出する意向を表明しました。また、厚生労働省も、不正受給に対する罰則の強化や、親族に扶養義務を果たしてもらうための仕組みを検討し、今月中に中間報告をまとめるとしています。
 
親族の扶養義務が徹底されるようになるというのは、どう考えてもうんざりする状況です。たとえば、兄が病気になって働けなくなり、生活保護を申請したとすると、弟の世帯の家計が調査されて、「あなたはお兄さんに毎月5万円の仕送りをする義務がある」などと命じられるわけです。そうなると弟の人生設計も変わってきますし、奥さんは「なぜあなたのお兄さんのために私まで犠牲になるのよ」などと不満を言って、夫婦関係まで壊れてきます。
 
もっとも、こんなことは専門家にとっては常識であるようです。生活保護問題対策全国会議の声明によると、扶養は保護の要件とされていないし、これは先進諸外国でも共通であり、扶養義務の強調は現代社会に合わない、ということです。
 
「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」 生活保護問題対策全国会議
 
 
しかし、相変わらず河本さんやその他の芸人をたたく人たちがいます。こういう人たちの心理はどうなっているのでしょうか。
 
まず人間についての基本的認識として、人間には誰でも楽してもうけたいという気持ちがあります。仕事のやりがいが同じなら、給料は少ないより多いほうがいいですし、同じ給料なら、つらい仕事より楽な仕事のほうがいいと思うものです。
ですから、生活保護は「楽してお金がもらえる」究極の制度ですから、自分も生活保護の恩恵に浴したい、中には不正をしてでも生活保護を受けたいと思う人も当然います。
 
もっとも、生活保護の場合はもらえる金額がかなり低いわけです。地域によっても違いますが、単身者で1カ月に生活扶助8万円プラス家賃扶助というところです(生活保護でリッチな生活をしているという話が一部でありますが、それは子どもがたくさんいたり、障害者加算がある場合です)
ですから、金持ちには自分も生活保護を受けたいなどという気持ちはまったくありませんし、生活保護受給者をうらやましいと思う気持ちもありません。
 
一般のサラリーマンは平均年収400万円ぐらいです。20代サラリーマンでも300万円ぐらいです。平均的な年収のある人も生活保護受給者をうらやむ気持ちはないでしょう。かりに絶対バレないうまいやり方で不正受給させてあげるといわれても、仕事を捨てて生活保護受給者になる道を選ぶ人はまずいないでしょう。生活レベルが低すぎますし、仕事のやりがいもなく、将来の展望もないからです。
 
しかし、世の中には非正規雇用などで相当年収の少ない人もいます。たとえば年収百数十万円で、仕事にやりがいもなく、このまま働き続けても将来の展望がないという人にとって、生活保護受給者はうらやましい存在です。多少収入が少なくなっても、仕事をしなくていいというのは大きなメリットです。
生活保護受給者がうらやましい、自分も受給者になりたいけど、なれない。こういう思いを抱えている人は、不正受給があるというともちろん攻撃しますし、不正受給でなくても受給者にはきびしく当たります。生活保護の支給レベルを下げろとか、生活保護制度をなくしてしまえとか極端な主張をすることもあります。
 
ちなみに富裕層は、生活保護制度が不十分だと治安も悪くなるし、自分たち富裕層に怒りが向いてくるかもしれないと思うので、生活保護制度についてはおおむね肯定的ではないかと思われます。少なくとも自分の払った税金が不正受給者に渡っているのは許せないなどと怒ることはありません。
 
ですから今、河本さんをたたいたり、生活保護制度をもっときびしくしろと主張したりしている人たちは、日ごろから生活保護受給者をうらやんでいる人たちではないかと想像されます。こういう人たちは、自分の収入では将来にわたっても親族を扶養する義務を問われることがないとわかっているので、扶養義務強化も大賛成です。
 
こういう人たちの言葉だけ見るときわめて攻撃的で差別的なので、困った傾向と思えますが、こういう人たちの境遇を合わせて考えてみると、やむをえないところがあると思えてくるはずです。
たとえば犯罪者の犯罪行為だけを取り上げると許せないと思えますが、その犯罪者が悲惨な境遇で生きてきたことを知れば、その犯罪行為もやむをえないところがあると思えてくるのと同じです。
 
考えてみれば、生活保護受給者をうらやむような、社会の底辺の人たちの声というのは、これまで社会の表に出てくることはまずありませんでした。インターネットの普及でようやくそれが数の力をともなって出てきたのです。
こうした声に便乗する片山さつき議員のような人はまったく愚かですが、かといって、いわゆる進歩的文化人がこうした声に対応する論理を持ち合わせていないのも困ったことです。
新しい思想が必要とされる時代です。