ブログを始めて1年余りになりますが、ブログを書くことでだんだんと自分の頭の中が整理されてきて、表現も進化してきました。また、以前は自分の考えを表現することにためらいがあったのですが、だんだんと自信を持って表現ができるようになってきました。
 
なぜ以前は自分の考えを表現することにためらいがあったかというと、理由はいくつもあります。
ひとつは、私の考えは世の中の常識と正反対なので、なかなか理解してもらえないのではないかという懸念があったことです。
もうひとつは、私の考えというのはひじょうにスケールが大きく、一方私自身の能力はごく平凡なものなので、その落差があまりにも大きかったことです。早い話が私の能力不足です。
そしてもうひとつ挙げると、重要なことというのは、それなりの重みのある人物が言ってこそ信憑性があるのであって、どこの馬の骨ともわからない無名の作家が言ってもなかなか信じてもらえないのではないかという思いがあったことです。
今、三つ挙げましたが、これは互いに関連していて、要するに自信がないということに尽きます。
 
私がこうした認識を持つようになったのは、私が作家としてデビューするときのつまずきがトラウマになってしまったからではないかと思います。
 
私は1988年、「フェミニズムの帝国」という長編小説を出版して、実質的に作家としてデビューしました(その2年前から「SFマガジン」に短編をいくつか発表していましたが、世間的にはないも同然です)
「フェミニズムの帝国」というのは、女性が男性を支配する近未来社会を描くことで、現在の男性優位社会を風刺しようという社会派SFです。おもしろく小説を読むことで自然とむずかしいフェミニズム理論も理解できるというお得な小説でもあります。
86年から男女雇用機会均等法が施行され、男女の社会的役割についての議論が盛んになっていた時代です。「フェミニズムの帝国」を出版した直後あたりからセクシャル・ハラスメントという言葉が出てきて、これもまた大いに議論になりました。ですから、最適なタイミングの出版になるはずでした。
 
しかし、編集者はまったくそういうことを理解していませんでした。私は編集者というのは時代に敏感な人たちですから、今のタイミングに「フェミニズム」という言葉を冠した小説を出版する意味がわからないはずはないと思っていましたが、考え違いでした。
編集者はこの小説を「家畜人ヤプー」みたいなものだと理解していたのです。編集者はこの小説を「天下の奇書」だと言いました。そして、表紙に世紀末の画家、ビアズレーの耽美的で妖しい絵を持ってきたのです。
新人作家の小説をハードカバーで出そうというのですから、編集者もそれなりに評価していたと思われますが、まったく勘違いしているわけです。
 
社会的政治的な関心を持っている人に読んでもらいたいのに、耽美小説とか異端文学みたいなイメージの本づくりをされたら真逆です。耽美小説とか異端文学というのは社会に背を向けたものだからです。
 
編集者との最初の打ち合わせのときに、もう表紙のプランを示されました。デザイナーに依頼するのではなく、編集者本人がデザインもしたのです。編集者は2人いて、こちらは1人でした。編集者は2人とも男性です。
私は小説の狙いを説明し、コアな小説ファンではなく、小説よりもむしろ週刊誌をよく読むような層に読んでほしいのだと言いましたが、編集者はまったく理解しません。まるで固い岩に頭をぶつけているような感じでした。
対等の交渉をするには、こちらの言い分を聞いてくれないなら出版しなくてもいいというスタンスでなければいけませんが、ほかの出版社が無名の新人の小説を出してくれる可能性は限りなく低いです。原稿を読んでもらうことすら困難です。「SFマガジン」には新人コンテストに応募したことで短編を載せてもらえるようになったのですが、それが私にとっては唯一の出版社との回路でした。また、そのとき親から借金をしていましたし、長編の出版が決まったということを報告して、親には喜んでもらっていました。
 
結局、私はどうしてもそのときに出版したかったので、編集者に屈服しました。
 
「フェミニズムの帝国」はかなり話題になりましたが、その割に売れませんでした。小説としてまだへたなところがあり、それも売れない理由でしょうが、それ以上に装丁のせいで売れなかったと私は思っています。装丁と内容が真逆なのです。しかも帯の色は濁ったような嫌悪感をいだく青色でした。男性である担当編集者はこのフェミニズムの小説に嫌悪感をいだいていて、それが出たのです。
編集者に嫌われた本というのは悲しいものです。
 
私としては「フェミニズムの帝国」をベストセラーにして、次におとなと子どもの関係を軸にした小説を書くつもりでした。これもSF仕立てで、何百年も生き続けてきわめて深い知恵を身につけた「永遠の子ども」がいて、「永遠の子ども」が不良や登校拒否や引きこもりなどの子どもを組織し、それを子ども全体に広げて、おとな本位の社会に革命を起こそうとする物語です。おとなと子どもの関係というのは男女の関係ほど興味を持たれないので、あまり売れそうもありませんが、前作がベストセラーになれば勢いで少しは売れると考えました。そして、その読者の中の何割かは私の考えを理解してくれるはずと考えました。
 
私の考えというのは、男と女も支配的な関係だが、おとなと子どもも支配的な関係だというものです。つまり世の中には、あるいはひとつの家庭には、性差別と子ども差別のふたつの差別があると考えているのです。性差別は認識されていますが、子ども差別はほとんど認識されていません。そのため人間関係の根本が把握できないのです。
で、そのことを書いた思想書ないしは理論書を次に出版しようという考えでした。あらかじめある程度理解者をつかんでいれば、この思想ないしは理論はそこから世の中に広がっていくだろうと思いました。
 
つまり私は、「フェミニズムの帝国」、おとなと子どもの関係を軸にした小説、思想書という3段構えで、自分の考えを世の中に広めることを考えていたのです。
しかし、「フェミニズムの帝国」がベストセラーにならなかったことで第1段階で挫折し、また「フェミニズムの帝国」すら理解されなかったのだから、次に書く小説はなおのこと理解されないだろうと思い、次の小説が書けなくなりました。
書き下ろし長編の注文をいただいたので、そんなテーマ性のない単純なホラー小説でも書こうとしましたが、それも書けませんでした。短編小説は書けましたので、注文をこなしていましたが、短編だけの作家というのはなかなか成立しがたいもので、いつしか注文もこなくなり、忘れられた作家となりました。ライター稼業で生活はできていましたが、物書きとして技量を磨くことはできませんでした。
 
つまり、作家デビューのときのトラウマで私は作家として成功することはできなかったのですが、私の考えというのは世の中にとってきわめて重要なので、これはなんとしても世の中に広めなければなりません。
これから再チャレンジしていきます。