だめな教育を受けると、その分だめな人間になってしまいます。これは当たり前のことです。だからこそ教育改革がたいせつです。
もちろん完璧な教育があったためしはありません。ですから、誰もがそれぞれにだめな教育を受け、だめな人間になっているわけです。
ところが、「自分はだめな教育を受けたためにだめな人間になった」という認識を持っている人はほとんどいません。それでいて「今の教育はだめだから、教育改革をしなければならない」と主張するので、教育改革論議は混乱するばかりです。
 
日本においてだめな教育の代表例は英語教育でしょう。学校で英語を学んだだけでは、誰もしゃべれないし、聞き取れないということになってしまいます。ですから、短期でも留学するか、ホームステイするか、外国人の友人をつくるか、私みたいに何度も海外旅行するかしないと英会話はできません。
 
なぜそんなことになるかというと、英語教科書製作者は反実用主義という信念を持っているのではないかということを前回の「This is a pen」というエントリーで書きました。今回はその続きです。
 
 
英語教科書製作者や英語学者は、人間がどのようにして言語を習得するかについて知識がないのでしょう。いや、一般の人も誤解しているようです。
たとえば、英会話学習教材のCMで、ただ聞き流しているだけで習得できるということをうたうものがありますが、そんなことはありません。これは私自身で実験済みです。私が中学のとき、父親は私が使っている英語教科書をネイティブスピーカーが朗読するというテープを買ってきて、毎日それをかけました。しかし、聞き流しているだけではまったく効果がありませんでした。
ただ、一箇所だけ、
Miss.Chiken! Miss.Chiken! I am very hungry!
と声を張り上げるところがあり、そこだけは覚えてしまいました。教室で当てられて教科書を朗読したとき、そこだけテープと同じように正しい発音で読んでしまい、みんなに笑われました(Crown」という教科書です)
 
赤ん坊はただ聞いているだけで言葉を覚えるというのもまったくの誤解です。赤ん坊は生きるために必死になって言葉を覚えるのです。これは赤ん坊を観察してもわかるはずです。赤ん坊は目を丸くして、おとながしゃべるのを必死になって聞いています。
 
外国で生活すると外国語をよく覚えるというのも、覚えないとうまく生活できないので必死になるからです。
 
で、そうして言葉を覚えるとき、その言葉が使われる状況も同時に覚えます。つまり言葉というのは、TPO(時と場所と場合)によって使い分けられるので、TPOと同時に覚えないと使えないからです。
たとえば、友だち同士で使う言葉と改まった場で使う言葉は違いますし、男が使う言葉と女が使う言葉も違いますし、日本の場合は目上と目下で違ってきますし、相手を傷つける言葉や怒らせる言葉もあります。
 
ところが、日本の英語教科書は言葉とTPOつまり場面を徹底的に切り離す方針でつくられています。
たとえば、This is a penがその代表例ですが、誰が誰にどんな状況でいっているのかまったく想像がつきません。
むしろどんな場面で発されたのか想像がつかないような言葉ばかりを教科書に載せているに違いありません。
たとえば、
Are you a teacher?
Yes I am.
という例文がありましたが、これなどもどんな場面か想像がつきません。シャーロック・ホームズはある人物に会ったとき、その鋭い観察眼で古びた上着の袖にチョークの粉がついているのを見て、相手を田舎の教師だと見抜きます。それを確かめるために発した言葉ならありえますが。
 
おそらく英語教科書製作者たちは言葉と場面を切り離し、“純粋言語”として教えたいと思ったのでしょう。
そうしたほうがあらゆる場面で使えると思ったのかもしれません。
しかし、現実は逆で、場面と切り離された“純粋言語”は、覚えても使えないわけです。
そのため学校で英語を学んだだけでは英会話はできないということになります。
 
 
もっとも、最近の英語教科書はかなり改善されてきているようです。しかし、年配の人はだめな教科書で教育されたために、だめな英会話能力しか持っていないことになります。
そして、そういう人は自分がだめな教育を受けたためにだめになってしまったということがなかなか認識できません。
とはいえ、自分に英会話能力がないという厳然たる事実はあるわけです。
そこで、自分が英語をうまく話せないのは正しい発音が身についていないからだというふうに考える人が多いようです。
 
しかし、私の経験でいうと、発音が悪いために通じなくて困るということはそれほどありません。
たとえば、「ウォーター」というとたいてい通じません。もちろん私の発音が悪いからですが、「ウォーター」で苦労する日本人は多いようです。「ワラ」といったほうが通じるという説もありますが、「ミネラル・ウォーター」といえば通じるので、問題はありません。
「コーヒー」というのも意外に通じませんが、これは「カフェ」とフランス語風()にいい直せば通じます。
ライスを注文したらシラミが出てきたということももちろんありません。
 
ユーロの首脳が英語で記者会見しているのをテレビで見ることがよくありますが、みんなかなりへたな発音で話しています。
たぶん日本人は発音を気にしすぎです。RとLの区別ができないことを気にする人が多いですが、日本人はRとLの区別ができないというのは世界的に知られているので、相手が察してくれます。
 
たぶん私の発音では通じない単語もいっぱいあるのでしょうが、相手はいくつかの単語が聞き取れれば、あとは場面によって察してくれます。
 
 
もっとも、自分に英会話能力がないのは中学から始めたためだ、小学校から始めていればよかったのだと考える人が多いせいでしょう、日本の教育改革はへんなことになってしまいました。
というのは、2011年から小学校での英語必修化が始まったのです。
しかし、各小学校にネイティブスピーカーの教師を配置できるわけはないので、実際には日本人教師が小学生に英語を教えることになります。
つまり今までは中学生からだったのが、これからは小学生からへたな英語を聞かされることになるわけです。これではへたな発音がより深く身につくことになってしまいます。
 
「自分はだめな教育を受けたためにだめな人間になった」という認識のない人間が教育改革を論じると、教育改革が悪い方向に行ってしまうという典型的な例です。