アフガン支援国会議が8日、東京で開かれ、今年から2015年までの4年間に計160億ドル(約1兆2800億円)超を資金拠出するとした「東京宣言」を採択しましたが、今アフガン情勢はどうなっているかというと、アメリカもアフガン政府もタリバンに対する勝利は諦め、タリバンと話し合って政権内に取り込むことを目指しています。
もともとはビン・ラディンをタリバン政権がかくまったとして、タリバン政権を倒すためにアメリカが始めたアフガン戦争ですが、11年かけて元の木阿弥になってしまったわけです。
イラク戦争にしても、イラクの大量破壊兵器保有という虚偽の上の戦争だったことが明らかになり、むなしさだけが残ります。
アフガン、イラク国民の被害は別にしても、アメリカ国民にとっても兵士の死傷、戦費の浪費などで、ただ損害だけが残った格好です。
 
アフガン戦争、イラク戦争が始まったときは、アメリカ国民は「正義」の戦争と信じて熱狂しました。これが映画なら、タリバン政権を倒したところで、広場のフセイン像を引き倒したところで、映画はジ・エンドとなるのですが、現実にジ・エンドはないので、「正義」の戦争のほんとうの結末を見てしまうことになります。
 
「正義」に熱狂してしまうのは、もちろんアメリカ国民だけでなく、人類の病というべきものです。
日本では、小泉政権時代の抵抗勢力との「正義」の戦いが思い出されます。郵政選挙のときは、投票所に今まで一度も投票したことがないようなヤンキー風の兄ちゃんを何人も見かけました。「郵政民営化は改革の本丸」という言葉に踊らされたのでしょう。
その結果、郵政民営化は中途半端な形となっていますが、これが小泉氏や竹中氏の思う通りになっていたとしても、日本はそれほどよくなるのでしょうか。
そもそも抵抗勢力のレッテル張りをして叩いても、叩かれたほうは恨みを持っていずれ逆襲してきますから、下手をすると逆効果になってしまいます。
 
現在、橋下徹大阪市長は地方公務員を敵に仕立てて「正義」の戦いを演出していますが、この結末もろくなものにならないと思われます。
 
そもそも「正義」の戦いとはいっても、結局強い者が弱い者に勝利しているだけのことなのです。小泉政権も政治家である抵抗勢力とは戦いましたが、官僚組織とは戦いませんでした。橋下市長も地方公務員とは戦っていますが、中央官庁がからむ原発再稼働問題ではあっさり退却しています。
ですから、「正義」の戦いというのは、既製の社会体制の枠内で行われるので、社会を根本的に変えるものとはなりません。むしろ既製の社会体制の悪を助長することにすらなります(社会を根本的に変える革命は悪人やならず者のレッテルを張られていた者が起こすことになります。たとえばバスティーユ監獄にいた者たちです)
 
「正義」の戦いがろくな結果にならないということは、生活保護の不正支給問題をめぐる騒ぎを見てもわかるでしょう。お笑い芸人の河本準一さんは、500万円から1000万円までの金額を国庫に返納したということですが、大騒ぎの結果がこれではお粗末すぎます。
「不正」受給だから、それを追及する自分は「正義」だということで酔いしれていた人たちが多かったようですが、そんな「正義」で世の中をよくすることができないということがはっきりしたでしょう。
 
実際のところは、「不正」受給の裏側には「不正」支給があるわけです。また、「不正」支給拒否もあります。
生活保護の問題は、受給する側だけではなく、支給する側にもあり、むしろ支給する側を改革することがたいせつです。ところが、「正義」を振りかざすと、どうしても弱い者のほうを叩くことになってしまいます。
 
では、どうしたらいいか。
これは簡単なことです。「正義」だの「不正」だのを頭から追い出して、すべて損得だけ、つまり誰がどれだけ得をし、誰がどれだけ損をするかということだけを考えて、最善を目指せばいいのです。
「正義」にとりつかれると必ず損をすると思って間違いありません。