アクセスが急増して、話に聞く「炎上」なるものが私のブログでも起こるのかと、期待半分、不安半分で見ていたら、別段何事も起こらないようです。考えてみたら、子どもが自殺したら家庭と学校の両方に原因があるはずだと、当たり前のことを主張しているだけですから、そんなことで「炎上」が起こるのもおかしな話です。
 
コメントも多数いただいていますが、ほとんどが罵倒や嫌がらせの類です。感情的に反対だが理論的に反対することができないので罵倒や嫌がらせになるわけで、やはり自分の説は正しいのだと、自信を深める糧にさせていただいています。
レスをつけたほうがいいかなと思うコメントもあるのですが、「あっちにつけてなぜこっちにつけないんだ」という不満が出るでしょうから、控えさせていただきます。
まともなコメントをしていただいている方には、この場からまとめてお礼を申し上げます。
 
「家庭」について書いたのだから、次は「学校」についての考察をうかがいたいというコメントがありましたが、それは自然な流れですから、今回は学校の問題について書くことにします。
 
 
現在、有識者などがイジメ対策についていろいろ語っていますが、私の知る範囲では、イジメの対症療法ばかりが語られていて、イジメそのものをなくす対策を語る人はいません。
イジメの対症療法の最たるものは、イジメは犯罪だから警察力で対応しろというものでしょう。
しかし、イジメで悩んでいる子どもというのは、親や教師が対応してくれないから悩んでいるわけで、誰が警察に通報するのかという問題があります。そうしたら、新聞の投書欄に、子どもが自分で110番しろと書いてあるものがありました。110番したら警察は必ず対応してくれるからというのです。
しかし、これも子どもの役に立つ助言とも思えません。確かに110番したら警察は必ず駆けつけてくれるでしょうが、そのときイジメっ子らが口裏を合わせれば、通報した子どもが逆に叱られることになります。まあ、死ぬほど思い詰めているなら、死ぬ前にやってみる価値はありますが、静かに死ぬのではなく、恥をかいてから死ぬハメになるかもしれません。
そもそも警察は、傷害罪が適用できるような事態ならいいですが、“陰湿なイジメ”なんていうのは対応しようがないと思います。今は大津市の事件が世間で騒がれているので、警察も動いてくれていますが、警察の本音としては、こっちは忙しいのだから、そんなことは学校で対応してくれというところでしょう。
警察力で対応しろと主張する有識者も、面倒なことを警察に押しつけているだけです。警察にとっても迷惑です。
 
警察力以外の対策をなぜ誰も言わないのか不思議です――などと言っていると、もっとくだらないことを言う人が出てくるかもしれません。たとえば、校内に監視カメラを備えよとか、屈強な警備員を配置しろとか。
結局、対症療法とはそういう方向に行くしかないわけです。まあ、それがいいという人もいるかもしれませんが。
 
では、イジメそのものをなくす対策とはなにかというと、これは簡単です。
学校が楽しくのびのびと学習できる場になればいいのです。
こうすれば学校が原因のイジメはなくなります(イジメの原因には家庭やその他の要素もあるので、完全になくなるとは言えませんが)
 
「イジメの構造」というエントリーでも書きましたが、子どもがストレスを強く感じるような学校ではイジメがひどくなります。たとえば、きびしい校則で縛るとか、プレッシャーをかけて勉強させるとか、わからない退屈な授業とかはイジメの原因になります。だから、その逆にすればいいのです。
 
対策としてはあまりにも簡単です。誰も言わないのが不思議です。
もっとも、今は子どもには規律を学ばせることがたいせつだとか、子どもにはがまんを覚えさせることがたいせつだとかいう考えの人がむしろ多数なので、テレビのコメンテーターなどはこういうことは言いにくいでしょう。たとえば体罰肯定論のほうが受けるのがテレビの世界です。
しかし、子どもにがまんを覚えさせることがたいせつだというのなら、イジメっ子はイジメられっ子にまさにがまんを覚えさせているわけで、イジメっ子は教育功労者として表彰しないといけません(がまんするのと、がまんさせられるのは別だということを理解していないと、こんなへんなことになります)
 
具体的なイメージとしては、たとえば尾木ママがテレビで紹介したオランダの小学校とか、私が勧める江戸時代の寺子屋方式とかがあります。これは「オランダの学校と寺子屋」というエントリーで書きました。
 
学校制度改革というと時間のかかる話ですが、今の制度でも、とりあえず子どもがのびのびと楽しくすごせるように各教師が心がければ、それだけ効果はあるはずです。
 
子どもが楽しくのびのびとしていればイジメはなくなる。当たり前の理屈です。
 
というか、それ以外の対策はないといってもいいでしょう(監視カメラや警備員が対策だというのなら別ですが)
 
 
しかし、子どもが楽しくのびのびと学習する学校というのに反対する人もたくさんいます。自分は学校でつらい思いをしてきたのに、今の子どもが楽しくのびのびするのは不当だという感情があるからです。この感情は一見理不尽ですが、感情のメカニズムとしてはむしろ自然なものだといえます。学校の運動部で、1年生のときに球拾いばかりやらされ、不当だと思っていても、自分が2年生になると、1年生に球拾いばかりやらせるようになるのと同じです。
 
今のおとなは、親や教師も含めてですが、子どもを幸せにしたいという気持ちが薄くなっています。ですから、親や教師の多くはイジメられている子がいても気づかず、気づいても面倒なので、みずから動いて解決しようとしないのです。
幼児虐待やきびしいしつけから、選挙権に年齢制限があることまで、子どもはおとなから不当に扱われています。
こういう社会のあり方を私は「子ども差別」と呼んでいます。「人種差別」や「性差別」は認識されていますが、「子ども差別」はまだほとんど認識されていません。そのためさまざまな問題が生じ、そしてその解決策がわからないという状態が生じています。イジメ問題もそのひとつというわけです。