タレントの関根勤さんは家庭をたいせつにすることで有名ですが、娘さんが小さいときに考えたそうです。この子もいずれ学校に行き、世の中に出て、人にイジメられたりとか、さまざまな不幸な目にあうかもしれない。それに対して親としてなにができるかというと、今のうちにいっぱい幸せな思いを味わわせることしかないのではないか。つまり、将来、不幸なことがいっぱいあっても、天秤がバランスを失ってひっくり返らないように、今のうちにこちら側に幸福の分銅をいっぱい積んでおくことだと思って、娘さんが小さいうちは必ず遊び相手になって、楽しい思いをいっぱいさせるようにしたというのです。
幸福と不幸の天秤という考え方がおもしろくて、印象に残っています。
ちなみにその娘さんというのは関根麻里さんのことです。
 
関根さんの家のようなところに生まれると子どもは幸せですが、世の中に関根さんの家のようなところは少数でしょう。
子どもにとっては、生まれる家()を選べないのがつらいところですが、生まれた家によって、子どもの人生は決定的に左右されます。
 
わかりやすいのは、裕福な家に生まれるとの、貧乏な家に生まれるのとの違いです。貧乏な家に生まれると、頭がよくても上の学校に行けず、人生の選択肢が限られてしまいます。貧乏な家というのは社会の下層ということですから、下層のままの人生になってしまう可能性が大です。
 
また、サラリーマン家庭に生まれると、その子どももサラリーマンになる可能性が大です。なかなか自分で商売をするという発想が出てきません。
商店など自営業の家庭に生まれた人は、自分も商売をするという発想が自然に出てくると思います。
たとえばワタミ会長の渡辺美樹氏、焼肉牛角などのレインズインターナショナル社長の西山知義氏は、どちらも一代で大きな事業を築いた方ですが、どちらも幼少時、父親がかなり大きな事業をしていて、それが倒産するという体験をしています。
ちなみに私はサラリーマン家庭の生まれで、自分で商売をしようと思ったことは一度もありません。
 
 
それから、最初に言ったように、愛情の多い家庭に生まれるのと、愛情の少ない家庭に生まれるのとの違いがありますが、愛情というのは目に見えないので、これは意外と認識されていないようです。
 
愛情の少ない家庭に生まれるというのは、たとえば生まれてすぐ親と死別して、親戚の家をたらい回しにされたとか、養護施設で育ったとかです(養護施設にも愛情を持って子どもに接する人はいますが)
それから、父親がアルコール依存症で、母親や子どもに暴力を振るうとかも、愛情の少ない家庭の典型でしょう。
こういうのは認識されやすいほうですが、普通に見える家庭でも愛情の少ないことがよくあります。
 
たとえば、親が一流大学の出で、子どもに一流大学に入るように強いるということがよくあります。子どもの将来の幸せのためだというわけですが、これは関根勤さんの考えとちょうど反対になっています。つまり、今は勉強ばかりで不幸でも、将来の幸せで天秤は釣り合うというわけです。
しかし、一流大学に入れば幸せになるとは限りませんし、いくら勉強しても一流大学に入れない場合もあります。
こういう親はたいてい、学歴差別意識がひじょうに強く、子どもの成績が悪くなり一流大学に入れそうもないとなると、それだけで愛情を失ってしまったりしますが、こういうのはもともと子どもを丸ごと愛していないのです。また、自分の見栄のために子どもを一流大学に入れたいという親もいます。
 
子どもがほしがるものはなんでも買い与え、小遣いも十分に渡しているという家庭もあります。こういう親はお金が子どもへの愛情の証だと思っているのですが、そうとは限りません。
貧乏な家庭で、母親が節約に努めてやっと子どもがほしがっていたオモチャを買ってやるというとき、それはわずかな金額であっても愛情の証になります。しかし、豊かな家庭で、子どもの面倒を見る代わりにお金を渡しているというとき、そのお金は逆に愛情がない証になります。
 
このように愛情というのはわかりにくく、暴力を振るっても「愛のムチ」だという親もいます。
 
 
ここで大津市イジメ事件のことに話をつなげますが、子どもが家庭の外でどんな不幸な目にあっても、家庭内で幸福の分銅を積んでおけば、天秤がひっくり返るわけがないと私は思っているので、自殺者の家庭はどうだったのかということを問題にしてきました。
たとえば、自殺者遺族の父親はきわめて活発に活動しておられますが、母親の姿はまったく見えないのが気になるところです。また、子どもが生きていたころ、親と子がこんなに仲良くしていたという報道がまったくないですし、父親の口からも語られたことがないように思います。
学校と家庭の両方で不幸の分銅を積んでいたのではないでしょうか。
 
イジメ加害少年の家庭も同じようなものでしょう。
そもそもイジメとは相手を不幸にすることですが、なぜイジメっ子は相手を不幸にするようなことをするのでしょうか。
それは、自分が人から不幸にされているからでしょう。
誰から不幸にされているかというと、まず間違いなく親からでしょう。
つまり、家庭でイジメられているので、学校でもイジメてしまうのです。
イジメ加害少年の家庭も表面的には普通の家庭であるようですが、やはり不幸の分銅を積んでいたのでしょう。
 
現在、加害少年の親も週刊誌などで批判されていますが、親と子をいっしょに批判しているだけで、親のなにが悪くて子どもをイジメに走らせたのかという観点からの批判はないのではないでしょうか。
 
もっぱら大津市の教委や学校や加害少年を批判する現在のやり方は、たとえば大津市の教育長が辞任すればそれで終わってしまいます。これでは学校の問題も家庭の問題も解決されず、なんのための批判だったのかわかりません。