私は健康のために週に2回、スポーツジムに行って泳いでいますが、こういうのは普通「スポーツ」とは言わないようです。「スポーツ」というのは、「競技」とも言われるように、競う要素が含まれます。
野球やサッカーはもちろん相手チームと競うわけですし、テニスや柔道は個人同士で競うわけです。
学校の体育でも、どうしても競う要素があります。ランニングをする場合、タイムによって成績が決まったりします。
私は中学ではワンダーフォーゲル部、高校では硬式テニス部に所属していましたが、練習には当然ランニングもあります。そのとき、決して競争して走るわけではないのですが、できるだけタイムをよくしたいですし、人と同時にスタートした場合、遅いとみっともないという気持ちからどうしても競争になります。
ですから、ランニングというと必死で走って、最後は余力をすべて使い切って息を切らせてゴールすると決まっていました。
 
私は32歳で会社を辞めて、次の就職先を探そうか、小説修行に専念しようかという中途半端な時期がありました(会社は自分から決断して辞めたのではなく、そのうち倒産しそうだから、やむをえず辞めたのです)
サラリーマン時代は毎日の通勤である程度運動できますが、会社を辞めると、一日ぜんぜん運動しないということも出てきます。運動不足になってはいけないと、私はジョギングをすることにしました。
 
ジョギングというのは、有酸素運動ですから、息が切れるような走り方をしてはいけません。走りながら隣の人と会話ができるくらいがいいそうです。
そういう予備知識を仕入れてジョギングを始めましたが、なかなかジョギングになりません。どうしても必死で走ってしまうのです。走るとはそういうことだと長年思い込んできたからです。
ジョギングらしい走り方が身につくまでに1カ月以上かかったかもしれません。
 
いったんジョギングとしての走り方が身につくと、走ることが楽しくなってきます。
それまでの必死で走るやり方はただ苦しいだけですから、ぜんぜん違います。
 
ジョギングに限らずランニングもそうですが、自分のペースで走ると楽しいものです。趣味で走っている人がたくさんいるのは当然です。
 
しかし、私が知人に「最近、ジョギングをやってるんだ」と話すと、ほとんどの人が「つらいのによくやるな」という反応です。みんな、かつての私のように、体育の授業や運動部のトレーニングでやったランニングのイメージが染み付いているのです。
東京マラソンにはたくさんの参加希望者がいますし、皇居の周りをランニングしている人もたくさんいますが、一方で走ることのなにが楽しいのだと思っている人は圧倒的にたくさんいると思います。
 
体育の授業や学校の運動部は、実は運動嫌いの人を量産している可能性があります(学生時代に運動部でがんばった人が卒業するとまったく運動をしなくなるケースがたくさんあります)
「競う」「鍛える」ということに重きを置きすぎて、「楽しむ」ということが忘れられているからです。
私はジョギングをすることで初めて運動することの楽しさに目覚めました。
 
ランニングをやっていると、マラソンの大会に出場したくなります(私は出場するところまではいきませんでしたが)
マラソン大会に出場するといっても、一般の出場者は人と競うということをしません。人と競うのはトップランナーだけです。普通のランナーは、前よりもいい記録を出したいと、自分と競うのです。ですから、いっしょに走っている人はライバルではなくみんな仲間です。ゴールするときは周りの人と手をつないで一斉にゴールするという光景もよく見られます。
ランニングをすると、人と競わない運動の楽しさがわかります。
 
現在、学校ではやたら子どもを競わせようとしています。しかし、たとえば勉強で競うことにやりがいを感じるのは、トップクラスの子どもだけです。ほとんどの子どもは勉強で競わされると、勉強嫌い、競争嫌いになってしまいます。
 
昨日解けなかった問題が今日解けるようになると、誰でも達成感を覚えて、勉強が楽しくなります。そのように自分と競う楽しさを覚えられる学校であればよいと思うのですが。