8日夜、自民党の谷垣総裁と野田総理が会談し、一体改革関連法案(要するに消費税増税)を成立させることで合意しました。解散時期については、「近い将来」ではなく「近いうちに」と野田総理が表明したことで谷垣総裁も納得したということです。
最初からコップの中の嵐だと思っていましたから、落ち着くところへ落ち着いたというところです。
 
政治の話題を取り上げるのは久しぶりです。今の政治は、消費税増税へ向けて財務省とマスコミが強力に主導して動かしているので、なにを論じても意味がないと思っていたからです。今回の騒動は、週刊誌の報道によると小泉純一郎元首相が谷垣総裁に喝を入れたためということですが、その程度のことだったのかもしれません。
 
官僚とマスコミが政治を動かしているので、小沢一郎氏が新党を立ち上げたところで、大した力を発揮できそうにありません。もちろん、次の総選挙で自民党が政権を取っても、今の民主党政権とそれほど違うことにはなりません。
こうした官僚・マスコミ主導政治に対抗する勢力は、大阪維新の会とみんなの党ぐらいしかないのですが、大阪維新の会が大量の当選者を出したとしても、実力が伴わないので、民主党政権よりもあっさりと官僚・マスコミ連合軍に屈してしまいそうです。
自民党内にも、河野太郎議員とか塩崎恭久議員のような改革派がいますが、こうした議員はマスコミでも異端扱いされていて、ほとんど力が発揮できません。自民党が政権を取ってももちろん同じでしょう。
 
 
ところで、私はマスコミの民主党政権批判のやり方にずっと疑問を感じてきました。
二大政党時代に民主党政権批判をするというのは、実は自民党賛美をするのと同じです。ですから、自民党は昔となにも変わらないのに、支持率をどんどん伸ばしてきました。
 
アメリカでオバマ政権批判をするというのは、おそらくは共和党支持の立場から行われるのでしょう。そして、そのことはほとんどの人が了解しているものと思われます。
しかし、日本では、自民党支持の立場から民主党政権批判をする勢力ももちろんありますし、中には大阪維新の会のような第三勢力を伸ばそうという勢力もあるかもしれませんが、ほとんどのマスコミはそういう戦略なしに民主党政権批判をしているように思われます。そして、その結果、自民党の支持率を伸ばしているのです。
 
現在、有権者の選択肢は限られているのですから、有権者はどういう投票行動を取るべきかという観点から政権批判なり、野党批判なりをするのが当たり前だと思うのですが、マスコミの常識はそうではないようです。
 
同じことは、震災後の原発事故対応についての官邸批判にも感じます。
原発事故対応については、民間事故調、国会事故調、政府事故調、東電事故調のすべてが最終報告を出しましたが、それぞれに官邸の事故対応のやり方を批判しています。
 
もちろん官邸のやり方にいろいろ問題があったのは当然ですが、私はあまりそれを批判する気になりません。
私が事故当時にいちばん感じたのは、東電と保安院の無能ぶりです。最初のころ、東電と保安院の記者会見は、まったく記者会見の体をなしていないほどひどいものでした。こんな無能な組織が事故対応をしていたら、事故は最悪の事態に至るだろうと思ってぞっとしました(東電福島事務所の廊下で疲れきった表情で取材に応じていた小太りの人だけはまともでしたが)。ただ、官邸の枝野幹事長や菅総理の記者会見はちゃんと危機感を持って対応している感じがしました。
つまり、官邸は東電や保安院との比較でいうと、相対的にましだと思えたのです。
 
また私は、これが民主党政権ではなく自民党政権だったら、もっとひどいことになっていただろうと思いました。自民党政権は長年、保安院や東電と一体だったわけですから、自民党政権だったら、保安院や東電を批判的に見ることができず、保安院や東電の言うことを真に受けてしまった可能性があります。
その点、菅総理はもともと左翼的な人ですから、原発には批判的でした。保安院や東電の言うことが信用できないので、個人的なつながりの人を招いて意見を聞いたりしました。こうした姿勢も基本的にはよかったと思います。
 
つまり当時の官邸を、保安院や東電や自民党政権や菅総理以外の人との比較で考えると、相対的にましだったということになります。菅総理率いる官邸というのは、偶然ではありますが、原発事故対応をするのにベストの官邸だったということも言えるのです。
 
私の発想は、現実的な選択肢との比較で官邸や民主党政権を見ているわけですが、マスコミや事故調の人たちは別の発想で見ているようです。
それは、「理想の政権」「理想の官邸」というものを想定し、それとの比較で現実の政権や官邸を見ているのです。
となると、当然批判することはいっぱい出てきます。
 
私の発想が相対主義的だとすれば、マスコミの発想は絶対主義的ということになります。
 
私の発想が正しいとは必ずしも言えません。というのは、私の発想はもともと家族関係のあり方からきているからです。つまり、「理想の妻」「理想の夫」「理想の子ども」というのを想定して、現実の妻や夫や子どもと比較すると、必然的に批判することがいっぱい出てきて、家族関係は崩壊していきますから、そういうことはしてはいけないと考えるのです。
結婚するときに、いろんな人と比較して選択したはずです。ですから、結婚したあとは受け入れるだけです。子どもについても、結婚したときに自分と配偶者の遺伝子を半分ずつ持った子どもが生まれてくることはわかっているのですから、生まれてきたら受け入れるだけです。子どもをほかの子どもと比較したり、ましてや「理想の子ども」と比較するのは愚かなことです。
 
政治の世界は家族関係と違うという考え方もあると思います。「理想の政権」を想定して、それと比較して批判することにより、だんだんと「理想の政権」に近づいていくのだという考え方です。
 
もっとも、現実にはそうなっていません。政権批判を続けているうちに、首相は回転ドアと揶揄されるように毎年変わり、変わるたびに劣化していっているようです。
 
現在のマスコミは、「もっぱら『理想の政権』と比べて現政権を批判する。野党は批判も賞賛もしない」というやり方で、その結果野党や大阪維新の会が支持をふやしています。
そうではなく、「与党と野党と第三勢力を比較して批判・賞賛する」というふうにするべきではないでしょうか。有権者はそれいちばん求めているはずです。