数日前にブログタイトルを変更しました。
今までは「村田基の『正しすぎてごめんね』」でしたが、このタイトルにはブログ開設時のちょっと自信のない気分が表れています。約1年半ブログを続けてきて、違和感が拡大してきたので、思い切って変えることにしました。検索エンジンなどは一時的に混乱するかもしれませんが。
 
私は自分の根本にある考え方の正しさに絶対的な自信を持っていますが、世の中の人が理解してくれるかどうかについてはそれほどの自信がありません。そういう思いが最初のブログタイトルの「正しすぎてごめんね」というところに表れたわけです。
今は多少自信もついてきましたし、それに、自信なさげに見えたのではアピール力も弱くなってしまいます。
 
では、新しいブログタイトルはどうするかということですが、私の根本の思想は、人間がどのようにして道徳をつくりだしたかを進化生物学に基づいて説明するものです。
(これについては、このブログの「オカルト科学!?を参照)
 
ですから、学問のジャンルでいうと進化倫理学の範疇に入ります。しかし、「進化倫理学」という言葉を打ち出しても、一般の人にはまったく興味がわかないでしょう。それに、内藤淳著「進化倫理学入門」(光文社新書)という本があって、この本は私と正反対の考え方(つまり普通の倫理学)なので、誤解されるおそれもあります。
 
従来の倫理学は人間中心、自分中心の発想に基づくものですから「天動説的倫理学」と名づけ、私の倫理学は発想のコペルニクス的転回によるものですから「地動説的倫理学」と名づけるというやり方も考えていました。しかし、説明なしに「地動説的倫理学」といっても、やはり意味がわかりません。
そこで、最初のうちは「科学的倫理学」と名づけていました。
しかし、今の段階ではあくまで自称「科学的」です。自称「科学的」というのはオカルト科学と同じですから、かえってうさんくさく思われるだろうと思い直し、最近は使わなくなりました(最初のころに書いた文章では「科学的倫理学」を使っています)
 
新しいものに名前をつけるというのはむずかしいものです。
「真正倫理学」と名づけようかと思いましたが、これもかなりうさんくさいです。
「新倫理学」というのはそれほどうさんくさくありませんが、意味がわかりませんし、インパクトもありません。
 
それに、そもそもブログタイトルに「倫理」とか「道徳」という言葉を使うと、それだけで多くの人にスルーされてしまうに違いありません。
というのは、「倫理」とか「道徳」という言葉がタイトルにある文章がおもしろかったためしがないということは誰もが学習しているからです。
これは従来の倫理学がまったくデタラメな学問であったせいです。
私はその倫理学を改革してまともな学問にしようとしているのに、「倫理」や「道徳」という言葉を使うとデタラメな学問と同じと見なされてしまうというのは皮肉なことです。
 
もっとも、「悪の倫理学」とか「悪魔の倫理学」というのはありかもしれません。インパクトがあり、引きつけられる人もいそうです。
しかし、こういう言葉を使うとキワモノと見なされますから、やはりだめです。
私の思想は常識と違いますから、キワモノと見なされるおそれはつねにあります。
 
たとえば、ジョルジュ・バタイユという作家で思想家は、「過剰の蕩尽」という言葉で、人が必要以上のものを生産するのは祝祭や戦争で蕩尽する快楽を得るためだという思想を発表しました。常識とは逆ですが、これはこれでカルト的な人気のある思想です。
 
しかし、私は自分の思想はコペルニクスの地動説みたいなもので、やがてはこちらがメジャーになるべきだと考えています。バタイユみたいなものといっしょにされないように注意しないといけません。
 
で、いろいろと考えた結果、「倫理」や「道徳」という言葉を使うのはやめて、結局「村田基の逆転日記」とすることにしました。
なにが逆転なのか意味がわかりませんが、わからない分、知りたくなるということもあるでしょう。
で、読んでみれば、発想の逆転があることは事実ですから、羊頭狗肉ではありません。
ちなみに私の出世作であるSF長編「フェミニズムの帝国」は、男女の社会的役割が逆転した近未来社会を描いたものですし(出世作といっても出世してないけど……)、短編小説でも逆転した発想のものを得意としていました。
道徳についての考え方を逆転させると、世の中のあり方がまったく違って見えてきます。このブログではそうした世の中の見方を日記として書いています。
 
ということで、ブログタイトルが変わった事情を説明させていただきました。