文部科学省は9月11日、「児童生徒の問題行動調査」を発表しました。それによると2011年度に全国の学校が把握したイジメの件数は7万231件にのぼりますが、これは前年度より9.5%少なく、現在の調査形式になった2006年度以降で最少だということです。
ということは、イジメは毎年へっているのか――と思うと間違ってしまいます。イジメによる子どもの自殺が社会的な騒ぎになると件数は増加し、騒ぎが沈静化すると件数は低下するということが繰り返されているからです。今年は大津市の中2男子の自殺が大きな騒ぎになりましたから、来年の調査の件数は大きくはね上がることでしょう。
 
つまり、子どもの世界でイジメがふえるからおとなが騒ぐのではなく、おとなが騒ぐから子どもの世界でイジメがふえるということになります。
いや、これはあくまで調査によって把握された件数の話ですから、表現としては正しくありません。
しかし、子どもの世界でなにか変化が起きたからおとなが騒ぐのではなく、おとなは自分たちが騒ぎたいときに騒いでいる。つまりおとなの心理が騒ぎをつくりだしているという面があることは否めません。
 
ここで話は飛ぶようですが、数年前、「中国人が日本の水源地の土地を買っている」という話が広がりました。私はこれは最初からうさんくさい話だと思っていました。というのは、目的がよくわからないからです。日本で水をペットボトルに詰める工場をつくって中国に持っていくのでは採算が合わないでしょうし、それなら最初から日本のミネラルウォーターを輸入すればいいわけです。
で、実際に調査してもそうした事実は把握できていません(森林資源のために土地を買うということはあるかもしれませんが)
では、なぜこういう話が広まったかというと、これは関東大震災のときに朝鮮人が井戸に毒を投げ入れているという噂が広がったのと同じだと思うのです。
関東大震災のときは、朝鮮人に対する日ごろからの漠然とした不信感がパニック心理で増幅されてそうした幻想を生み出したわけですが、現代の日本人は、急速に経済力をつけた中国人に漠然とした不安を感じていて、それが「水源地を買い占められる」という幻想につながったのでしょう。
水は命の元ですから、井戸に毒を入れられるのも水源地を買い占められるのも、想像するだけでも恐ろしいことです。しかし、中国人が日本の水源地を買い占めて水を汚染させても、中国人にはなんの利益もありません。そんなことをするわけがないのは、少し考えればわかることです。
 
現在のおとなは、子どもや学校に漠然とした不安を感じていて、それがなにかのきっかけがあるとマスコミを通して増幅し、大きな騒ぎを演じてしまいます。今回は大津市の中2男子生徒の自殺に関する「自殺の練習」という報道がきっかけだったわけです。
 
しかし、今回の「児童生徒の問題行動調査」を見ると、イジメよりももっと大きな問題があるのではないかと思わされます。
イジメの件数は多いですが、これは調査の仕方によっても変わってきますし、深刻度もわかりません。
その点、自殺件数というのは正確ですし、深刻度もよくわかります。
そこで自殺についての調査結果を見てみると、2011年度の小中高生の自殺者は200人でした。そして、「自殺した児童生徒が置かれていた状況」という調査項目があって、朝日新聞の記事によると、自殺の直前の状況に「いじめの問題」があったとするのは4人だけでした。
では、ほかにどんな状況があったのかというと、今回の調査結果はまだ文部科学省のホームページにアップされていなかったので、2010年度についての調査結果になりますが、自殺の状況で最大なのは、「進路問題」で11.8%、次が「家庭不和」で9.6%、その次が「父母等のしっ責」で7.4%でした。「いじめの問題」は2.2(3人)にすぎません。
 
つまり小中高生の自殺原因の多くは進路問題、家庭不和、父母等の叱責であって、イジメはごく少ないのです(最大は「不明」の53.7%ですが)
子どもの自殺を防ぎたいと思うなら、学校のイジメをなんとかすることよりも、親が子どもを叱るのをやめて夫婦仲良くすることが手っ取り早くて効果的ということになります。
 
しかし、おとなにとって子どもを叱ることは“生活習慣病”なので、なかなかやめることができませんし、夫婦関係の修復も容易なことではありません。そのため、マスコミもこの問題は追及しません。
親に叱られたあとに子どもが自殺したという事件はたまに報道されることがありますが、こうした事件が騒ぎになることは絶対にありません。
おとなが騒ぐのはもっぱら「イジメが原因で自殺した」という事件です。これならおとなは自分の責任を問われることがないので、安心して騒げるというわけです。
 
ところで、私は大津市の中2生徒自殺事件が大きな騒ぎになったのは、「脱ゆとり教育」と関係があるのではないかとにらんでいます。
子どもが重い教科書を持って学校に通うのはかわいそうだといったことから「詰め込み教育」が批判され、「ゆとり教育」が始まりましたが、今度はこんな薄い教科書では学力が心配だということで「脱ゆとり教育」に切り替わりました。
「ゆとり教育」にせよ「脱ゆとり教育」にせよ、なんの根拠もなく、恣意的に変えているだけです。
「脱ゆとり教育」は小学校では2011年度、中学校では2012年度から始まっています。つまりまた子どもたちは重い教科書を持って学校に通うようになったのです。
おとなたちは「脱ゆとり教育」つまり「詰め込み教育」への回帰を目の当たりにして、これでよかったのかという漠然とした不安を感じているに違いありません。
その不安がひとつの自殺事件を大事件に育て上げたというわけです。
 
実際のところはわかりませんが、おとなの恣意によって教育と子どもが翻弄されているのは間違いなく、ここから改めていかなければなりません。