ニュース番組を見ていたら、自民党総裁選に立候補した5人が出てきたので、チャンネルを変えてしまいました。自民党から民主党への政権交代を見てわかったのは、自民党でも民主党でも大して変わりはないということですから、党首の交代などさらにどうでもいいことです。
 
とはいえ、下馬評によると実質は石原伸晃氏と石破茂氏の争いで、どちらかというと石破氏が優勢なようで、このままだと石破茂首相が誕生しそうです。石破茂首相でいいのでしょうか。
 
はっきり言って私は石破氏が嫌いです。石破氏の政策や思想以前に、石破氏の顔が嫌いです。
石破氏はブサイク顔ですが、それ自体は問題ではありません。
石破氏の目つきと顔が脂ぎっているのが嫌いです。
 
そんなことはどうでもいいではないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。目つきと顔が脂ぎっていることは人格に直結しているからです。
 
石破氏は危ない目つきをしています。このことは多くの人が感じているのではないでしょうか。
とはいえ、なにをもって危ない目つきとするのか、客観的な基準はなさそうなので、このことはおいておきます。
 
顔が脂ぎっていることには客観的な基準がありますし、人格と関係していることもわかっています。
 
汗には2種類あります。暑いときや運動したときにかく汗は、ミネラル分が少なく、水とわずかな塩分だけですが、緊張したときやストレスのあるときなどにかく汗は、ミネラル分が多く、ベタベタしています。つまり脂汗です(冷や汗も同じですが、一般に冷や汗は瞬間的なものをいうので、ベタベタするほどかくことはない理屈です)
 
私が「これが脂汗か」と初めて思ったのは、初めていわゆるフリー雀荘に麻雀を打ちに行ったときです。
麻雀は普通仲間4人で打ちますが、フリー雀荘には1人で行って打つことができます。麻雀小説や麻雀マンガを読むと、フリー雀荘を舞台にプロの博奕打ちやイカサマ師が命懸けの戦いを毎日繰り広げているようなイメージがあり、私はずっと敬遠していましたが、あるとき蛭子能収さんのエッセイでフリー雀荘の実態が書かれているのを読んで(実際はサラリーマンや自営業者や学生が普通に打っているだけです)、自分も行ってみることにしました。
しかし、行ってみると、初めてのことばかりで戸惑いの連続です。
相手の3人はもちろん全員知らない人で、それまで友だちとばかり打っていましたから、それだけで緊張します。
また、フリー雀荘にはマナーがあって、たとえば捨て牌は6枚を1列に並べるとか、王牌のいちばん最後の牌は転がり落ないように下ろしておくとか、暗槓するときは必ず4枚見せるとか、先ヅモはしないとかです。これらは当たり前のマナーなのですが、ずっと仲間内で打っていると、こうしたマナーが身についていないので、いちいち注意されてしまいます。
トイレに行って戻ってくると、私の席に知らない男が座って打っています。これは「代走」といって、ほかの3人を待たせないために店の人が一時的に代わって打つのですが、知らないとなにがどうなっているのかと頭がパニックになってしまいます。
3、4時間打って、家に帰ってきましたが、服を着替えるとき、全身がひどくべったりとしていることに気づきました。こんなことは初めてです。私は3、4時間ずっと脂汗をかいていたに違いなく、こんなに長く脂汗をかいたのは初めてだったのです(2回目以降はそんなことはありませんでした)。
 
女性に嫌われる典型として、「脂ぎったオヤジ」という表現があります。
女性にもてるプレイボーイは脂ぎっていません。女性にもてることを諦めている人も脂ぎっていないでしょう。もてないのにもてたいと格闘している人が脂ぎってしまうのです。
 
石破氏の顔はつねに脂ぎって見えます。やはり欲望が強すぎて、つねに現実と格闘しているのでしょう。
欲望が強いことは悪いことではありませんが、年を取れば現実と折り合うことも覚えねばなりません。
 
タレントの片岡鶴太郎さんはお笑い芸人をやっているころは脂ぎっていました。成功したいという願望が強く、お笑い芸人として人気になるだけでは満足していなかったのでしょう。そして、鶴太郎さんは俳優の仕事をし、またプロボクサーの資格を取り、鬼塚勝也選手や畑山隆則のセコンドを務めるなどし、絵を描いて、自作を展示する美術館ができるほどになりました。そして、そのどこかの時点で、鶴太郎さんの顔からはすっかり脂が抜けてしまいました。
 
私が石破氏を初めて見たのは「朝まで生テレビ」においてで、20年近く前のことかと思いますが、そのときから石破氏の顔は脂ぎっていて、しかも55歳になった今も同じくらい脂ぎっています。
こういう人はリーダーとしてふさわしいのでしょうか。
脂ぎっている分、パワフルになにかやってくれそうですが、リーダーにはバランス感覚が要求されます。
軍事オタクとして仕事をするのが向いているのではないでしょうか。
 
はっきりいってあの顔で世界の指導者と並ばれるのは、日本人として恥ずかしい気がします。
 
ところで、知識人やマスコミは選挙においては「人物より党」とか「人物本位より政策本位」で選ぶべきだと主張します。つまり人格は関係ないというのです。こういうのは知識人特有の近代主義的な考え方で、一般の人々の考え方とはかけ離れています。
一般人は政策論争を聞いてもどちらが正しいのか判断できません。判断しようとすると、専門的な領域に入ってしまいます。
むしろ人物や人格を見て選ぶのが正しい態度だといえます。
いくら立派な公約を掲げていても、実行力がないとか、最初から嘘であるというのでは話になりません。ですから、たいせつなのはその人物は誠実であるか、実行力があるかを見抜くことです。
そして、こういうことについては知識人よりも一般の人のほうが長けていたりします。
 
テレビも、候補者1人1人に政策を聞いていくというのでは、時間がかかりますし、視聴者のほうもなにが正しいかよくわかりません。それよりも候補者全員に嘘発見器をつけて、「あなたはほんとうに国のことを思っていますか。いいえでお答えください」とやって、全員の反応を比べるぐらいのことをしてほしいものです。こちらのほうがきっと有意義なはずです。
 
ともかく、政策本位より人物本位で選ぶべきだというのが私の考えですが、そうすると脂ぎった顔の人はやっぱりだめということになります。