今年のノーベル平和賞がEUに授与されることに決まりました。人ではなく機関や組織が受賞するというのはそんなに珍しいことではありませんが、EUというのは想定外で、意表をつかれた感じです。
この授賞のメッセージ性についてはすでにいろいろ論じられていますが、私が改めて感じたのは、欧米の人というのは、自分たちが世界を動かしているのだという意識を普通に持っているのだなということです。
逆にいうと、日本人にはそういう意識がまったくないということです。
 
スポーツのルールが、日本人選手が活躍するとしばしば欧米人選手が有利なように変えられてしまうのは、皆さんもご存じの通りです。これは欧米人がずるいというよりも、日本人があまりにもそういうことにうといということではないでしょうか。
 
今週は東京でIMF・世界銀行総会が行われていましたが、日本が世界に対してなにかメッセージを発するということはありませんでした。白川方明日銀総裁は前から欧米に対してバブル崩壊後の日本の経験を発信していて、欧米からも評価されていますが、こうするべきだという言い方はしていないはずです。欧州の景気減速は日本経済にも悪影響を与えていますから、城島光力財務相はたとえばギリシャやスペインはもっと財政再建に努力すべきだとか、ドイツは欧州共同債発行に賛成するべきだとか発言してもいいはずです。しかし、日本人は欧米に対して、そういう“上から目線”の発言をしたためしがありません。
むしろ逆に、今回のIMF・世界銀行総会で日本でいちばん話題になったのは、中国の財政相らが欠席したということです。世界のことよりもアジア・ローカルのことに関心が向かうのです。
 
日本が欧米に対して対等の発言ができないということは、内田樹氏の「日本辺境論」を読んで改めて認識しました。日本は昔から中国文明の辺境にあって、文明の成果だけを取り入れ、現在は欧米に対して同じことをしているといった内容です(かなり粗雑な要約です)
 
私が「日本辺境論」を読んだのは、ちょうど鳩山政権が普天間問題で迷走していたときでしたから、日本が普天間問題を「国外・県外」で解決できないことに納得してしまいました。
なぜ解決できないかというと、鳩山政権のせいというよりは、辺境意識を脱することのできない日本人が鳩山政権にまったく協力しようとしなかったからです。
 
ところで、今回のノーベル平和賞のメッセージ性について、私は勝手に、日本、中国、韓国などの東アジアもEUを見習うべきだという意味もあるのではないかと解釈しました。少くとも東アジアの人たちはそう受け止めたほうがいいということはいえるでしょう。
 
中国人は日本人のような辺境意識を持たず、むしろ文明の中心であるという意識を持っていると思われますが、ただ、欧米に対してあまりものが言えないことでは日本とそう変わりません。
たとえば、中国はアヘン戦争でイギリスに敗れ、それからヨーロッパの列強は中国に不平等条約を押しつけて、中国は半植民地化されます。日本の中国侵略はその流れに乗っかったものですが、現在中国は日本の侵略については文句を言いますが、欧米についてはなにも言っていないはずです。
日本が中国や韓国と過去の侵略や植民地支配についてやり合っているのはまったくバカげたことです。日本は欧米に使われて代理戦争をやっているようなものです。日本は中国や韓国と手を組んで、いっしょになって欧米にものを言うべきでしょう。
そうすれば、東アジアの対立は解消され、いずれはEUのようになっていくことも不可能ではありません。
そのときは、EUにならってAUという名前になるのでしょう。
 
そうなるためにも、日本や中国は欧米と対等のプレーヤーであるという自覚を持たなければなりません。