森口尚史なる人物がiPS細胞から心筋の細胞を作り心不全患者に移植して成功したと虚偽の発表をし、それを信じた読売新聞が一面で報じ、ほかのマスコミも追随したことが批判されています。いきなり人体に応用するというのはありえない早さですし、森口尚史氏も、記者会見を見る限りではいかにも怪しげな人物です。どうしてだまされてしまったのでしょうか。
 
人間は誰でも欲の皮が突っ張っていますから、そういう意味では誰でもが詐欺にあう可能性があります。人間がもうけ話に飛びついてしまうのは、猫が猫じゃらしに飛びついてしまうみたいなものです。
とはいえ、普通は理性によるブレーキが働き、「こんなうまい話があるだろうか」と考え直すものです。
 
今回の森口氏の嘘は、もうけ話ではありません。しかし、日本人にとっては広い意味での“もうけ話”です。iPS細胞を使った手術が成功したとなると、山中伸弥教授のノーベル賞の価値がさらに上がり、またその手術を成功させたのが日本人の森口氏ですから、二重に日本にとって誇らしいことになります。
この“もうけ話”は個人にとってのもうけではないので、理性によるブレーキがききにくかったのでしょう。
むしろ逆に、これを事実として伝えることは日本のためだということで、拍車がかかったに違いありません。
「愛国無罪」という言葉がありますが、同じような意味で、私はこれを「愛国バイアス」と呼んでいます。
 
もし森口氏が、「iPS細胞を使って手術をしたら失敗してしまった。山中教授の研究成果には疑義がある」と発表していたとしたら、マスコミは大いに疑って、森口氏の経歴や研究実績を調べて嘘と突き止めたに違いありません。
 
旧石器捏造事件というのもありました。これはある考古学研究者が次々と古い地層から石器を掘り出し、そのため日本の旧石器時代の始まりはアジアでもっとも古いということになって、日本人の自尊心を大いに満足させたのですが、実はこの研究者が自分で埋めた石器を掘り出していたという事件です。この研究者はあまりにも石器を発掘するのがうまく、“神の手”と呼ばれていました。それだけに疑う人もいましたが、その疑いを表明した人は逆にバッシングされていたといいます。
最終的には、この研究者が石器を埋めているところを隠し撮りした映像が決め手となって、捏造が発覚しました。もし隠し撮りの映像がなかったら、なかなか発覚しなかったに違いありません。
これも、この研究者の“発掘成果”が日本人にとって誇らしいものだったため、「愛国バイアス」が働いてしまったのです。
もしこの研究者の“発掘成果”が日本の旧石器文化はたいしたものではなかったというものなら、すぐに捏造が発覚していたに違いありません。
 
また、かなり古い話ですが、和田心臓移植事件というのもありました。これは日本で初めての心臓移植手術ということで、やはり日本人の自尊心を大いに高めました。そのため、この手術について疑義を表明した作家の渡辺淳一氏らは世間から大いにバッシングを受けました。しかし、のちに和田寿郎医師のやったことはほんど犯罪に近いことだったとされています。
 
欲の皮を突っ張らしてしまったために詐欺にあった人がいると、しばしば周りの人が気づいて、被害の拡大を止めてくれます。
しかし、日本人全体をいい気持ちにさせる詐欺は、誰も止めてくれないどころか、お互いに情報交換することでますます詐欺を信じる方向に行ってしまいます。
「大本営発表」もそのひとつです。行き着くところまで行かないと止まりません。
これが「愛国バイアス」の恐ろしいところです。
 
尖閣諸島や竹島の領土問題についても同じことがあるかもしれないので、私は領土の帰属についての日本の報道は鵜呑みにしないようにしています。
 
従軍慰安婦問題については、少し調べて、まさに「愛国バイアス」がてんこ盛り状態になっていることがわかりました。日本人にとって気持ちのいい情報ばかりをやり取りしているうちに、とんでもないところまで行ってしまっているのです。河野談話を見直せと主張している人たちの議論は、韓国の反発を招くだけではなく、国際社会に出すと日本人が大恥をかいてしまいます。
 
人間は生まれつき利己的にできています。ですから、そのことを踏まえて自分の認識をつねに補正していないと、正しい認識は得られません。
これは国家規模でも同じことで、日本人は日本についてつねに都合よく考えているということを自覚して、補正しなければなりません。
それができない「愛国者」はすなわち「情報弱者」となってしまいます。
ネットの中にはこの手の「情報弱者」があふれています。