「週刊朝日」1026日号が「ハシシタ 奴の本性」(佐野眞一執筆)という連載記事の第一回を掲載し、それに対して橋下徹氏が「血脈主義、身分制に通じる極めて恐ろしい考え方だ」と批判し、今後朝日新聞系のメディアの取材を拒否すると表明しました。
この時点で私は、橋下氏らしくない対応だなと思いました。「週刊文春」に実父がヤクザだったと書かれたときは、それがどうしたという対応をしたのとは大違いです。被差別部落出身だということは誰もが薄々わかっていたことで、今さら書かれても大したダメージはないはずです。
 
これに対する週刊朝日側の対応も意外でした。被差別部落に言及する以上は、それなりの覚悟があってやっていることかと思っていたら、あっさりと謝罪してしまったからです。さらに、佐野眞一氏の連載も中止すると決めました。
 
週刊朝日側の対応については、週刊朝日編集部と朝日新聞本社の意向にずれがあったのかもしれません。編集部はそれなりの覚悟を持って、理論武装していたかもしれませんが、本社が謝罪を指示したということが考えられます。朝日新聞的な考え方からすれば、被差別部落出身ということを書き立てるのはありえないことだからです。
 
しかし、こういうことで謝罪されては困ります。橋下氏は「血脈主義」という言葉を使い、週刊朝日の表紙には「橋下徹のDNA」という言葉があります。血脈もDNAも、その人間を決定するひとつの要素ですから、それを書いてはいけないとなると、人間性を探求する上で大きな障害になってしまいます。
 
というようなこともあって、私は週刊朝日のその記事を読んでみました。
うーん、これはかなり困った記事です。
読み物としてはおもしろいです。とくに反橋下の人が読むと、とてもおもしろいでしょう。要するに橋下氏のことをクソミソに書いているのです。
しかし、その後の展開が、橋下氏がなぜそうなったかのルーツを探るとして、被差別部落の話になっていきます。
つまり橋下氏がだめな人間であることと被差別部落出身であることが関係しているように読めるのです。
これは連載第一回目ですから、厳密にはここで判断してはいけないのかもしれませんが、このような展開になっていることがすでに問題であると思います。
 
なぜこのような書き方になってしまったのかというと、佐野氏(及び週刊朝日編集部)にあまりにも反橋下感情が強くて、冷静さを欠いてしまったからではないかと思われます。
私は佐野氏のほかのノンフィクションを読んだことがありますが、今回のような感情的な書き方はしていませんでした。
また、佐野氏が橋下氏を攻撃する意図を持っているなら、いつもよりよけい冷静に、足元を固めて反撃される可能性を徹底的になくして攻撃しなければいけません。しかし、今回は簡単に反撃されてしまいました。
 
というわけで、今回は週刊朝日側が謝罪したのは当然であると私は判断しました。
 
しかし、橋下氏の対応が正しかったかというと、そうではないと思います。
橋下氏もまた間違った対応をしたと思います。
 
ソフトバンクの孫正義社長も佐野氏に出自のことを書かれましたが、孫社長は佐野氏や出版社に謝罪を求めるような対応をしませんでした。孫社長と比べると、橋下氏の対応は器が小さいと言わざるをえません。
 
また、橋下氏は週刊文春や週刊新潮に実父がヤクザだと書かれ、今回調べてみると週刊新潮の記事の見出しには「血脈」という言葉が使われていますが、そのときはむしろ開き直り、取材拒否というような対応はとっていません。
 
ですから、今回も部落出身のどこが悪いんだと開き直ればよかったはずです。そのほうが橋下氏らしいでしょう。
週刊朝日に謝罪させても、被差別部落出身だと書かれたことは消せないわけで、その意味でも橋下氏の対応には疑問が残ります。
 
私が推測するに、橋下氏は国政進出の心労や維新の会の支持率低下で自信を失っており、そのため今回のような対応をしてしまったのではないでしょうか。
こうした対応は、部落差別の解消にはつながらず、むしろ部落差別の陰湿化を招いてしまうのではないかと危惧されます。
 
(この項目は「血脈やDNAを否定する危険思想」に続きます)