差別はむずかしい問題です。差別をどこまで正しくとらえているかで、その人の思想のレベルがわかります。
週刊朝日及び佐野眞一氏と橋下徹氏が対立した問題について、学者、有識者の発言がひじょうに少ないように思います。差別問題について自信を持って発言できる人がいないのでしょう。週刊朝日側は謝罪して、問題を検証するために朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」に審理を要請したということですが、果たしてその第三者機関がまともに審理することができるのでしょうか。
 
差別問題がむずかしくなるのは、差別されている側が必ずしも正しいとは限らないということがあるからです。
たとえば、アメリカで黒人の犯罪率は白人の犯罪率よりもはるかに高いという現実があります。このことをもって黒人差別を正当化する人がいますが、そういう人は、「自分は差別主義者ではない。犯罪を憎んでいるだけだ」という自己認識でいますから、差別について議論すると混乱することになります。
日本では、被差別部落出身者でヤクザになる人が多いという現実があります。
もちろんこれらは、差別が先にあって、それが犯罪率やヤクザにつながっているのですが、そういう時間軸が見えない人は差別を正しくとらえられないということになります。
 
また、差別は世代から世代へと引き継がれます。言い換えれば親から子へと引き継がれるということです。ですから、親と子の関係を正しくとらえないと差別もまた正しくとらえられないということになります。
ところが、人間の認識というのは基本的に「灯台もと暗し」になっているので、親子関係というのはほとんどブラックボックスになっています。
 
というようなことで、差別問題をとらえるのはむずかしく、これは橋下徹氏においても例外ではありません。
 
私は佐野眞一氏の「ハシシタ 奴の本性」という連載記事の第一回目を読みましたが、佐野氏に差別意識があるという印象を受けました。
もっとも、ほとんどの人に差別意識があるので、佐野氏を批判する資格のある人はほとんどいませんが。
 
一方、橋下氏の主張を聞いていると、明らかに差別意識があります。しかも、こちらの差別意識はより深刻です。というのは、自分の父親に対する差別意識だからです。
 
橋下氏は最初、週刊朝日の記事に対して、「血脈主義、身分制に通じる極めて恐ろしい考え方だ」と批判しました。それに続いて、こう言ったと報じられています。
 
橋下は「育てられた記憶もない実父の生き様や先祖のことだったり、地域が被差別部落であったとか、ボクの人格を否定する根拠として暴いていく、その考え方自体を問題視している」と述べ、さらに「人格のもとが血脈、DNAだという発想で、ボクとは無関係な過去を暴き出すのを認めることはできないし、違うんじゃないか」と怒りを露にした。
 
これはひどい発言です。なにがひどいかというと、自分の父親を徹底的に否定しているからです。「僕とは無関係な過去」とまで言っています。
もちろん否定する理由があれば問題ありません。たとえば父親から虐待されたなどは立派な理由になります。しかし、橋下氏は「育てられた記憶もない」と言っています。否定する理由が見当たりません(父親から殴られた記憶があると別のところで語っていますが、橋下氏は体罰肯定論者ですから、それで父親を否定するのは理屈に合いません)
橋下氏の両親は離婚して、橋下氏は母親のもとで育っています。母親から父親について否定的なことを聞かされていたということは考えられます。では、どんなことを聞かされていたのでしょうか。また、そのことをいつまでも鵜呑みにしているのも不可解です。母親からある程度自立する年ごろになれば、「お母さんの言っていることはほんとうなのだろうか。お父さんはそんなに悪い人間なのだろうか」という疑問が出てきて当然です。
 
人工授精で生まれた子どもは、ちゃんとした両親のもとで幸せに育っても、ある程度大きくなると、自分の生物学的父親はどんな人間か知りたくなることが多いらしく、スウェーデンでは、人工授精で生まれた子どもが自分の父親を知る権利を保障する法律が制定されています。アイデンティティを確立するためには「血脈」を知ることも無視できない要素のようです。
 
橋下氏の父親はヤクザであったらしく、橋下氏が小学校2年生のころに自殺しています。そのことをもって橋下氏が父親を否定するのはかわいそうです。父親は被差別部落に生まれ、差別の中で精一杯に生きた結果、ヤクザになり、自殺したからです。
 
橋下氏が父親を否定しているのは、ヤクザで自殺したという理由からかもしれませんが、実はそのことは被差別部落出身であることと切っても切り離せません。
ということは、橋下氏が父親を否定しているのは、父親が被差別部落出身であるからともいえるのです。
 
佐野氏の記事は差別的だと橋下氏は批判します。しかし、橋下氏は被差別部落出身の父親と結びつけて自分の人格が否定されているといって批判しているのです。つまり橋下氏は自己防衛をしているのです。
橋下氏のするべきは、父親を守ることです。
「自分は公人だからどんな批判をされてもしかたないが、被差別部落出身だということで父親を批判することは許されない」
これこそが橋下氏の主張するべきことです。
このような主張なら、被差別部落出身者はもとよりすべての差別に苦しむ人、さらには多くの一般の人々の共感を呼んだでしょう。
しかし「『血脈』をあばくことによって自分の人格否定をすることは許されない」という橋下氏の主張は、おそらく誰の共感も呼ばないでしょう。
なぜなら、この主張には父親への思いがまったくなく、ということは、差別されている人への思いもないからです。
 
橋下氏は「血脈」を否定することなく、自分の父親と向き合う必要があります。そうすれば、部落差別とヤクザ差別への認識が深まりますし、刺青への偏見もなくなるでしょう。
 
 
それにしても、私は橋下氏の母親はどんな人間かということに興味を持ちました。被差別部落出身のヤクザ者と結婚したのですから、なかなかの人間と思います。橋下氏は当然その影響を受けています。
また、橋下氏は幼児期は父親といっしょにすごしたようですから、その影響も受けているはずです。その意味でも父親がどういう人間であったかを知るのはたいせつなことです。
佐野氏の連載はそうしたことをすべて明らかにしてくれたに違いありません。
 
オバマ大統領については、そのルーツがすべてあばかれています。日本で政治家のルーツをあばくことがタブーになってはいけません。
朝日新聞の第三者機関は、橋下氏のルーツをあばくことをやめてはいけないと勧告してほしいものです。