橋下徹氏が部落差別問題で週刊朝日にかみついたことが大きな問題になったおかげで、私自身の差別問題についての認識がどんどん深まってきました。考えれば考えるほど認識が深まるというのは、私の基本的なスタンスが正しいからでしょう――と自画自賛しておきます。
 
私の基本的なスタンスというのは、週刊朝日VS橋下氏のバトルの関係者の中でいちばん弱い人、いちばんかわいそうな人に寄り添い、その視点から物事を見るというものです。
で、いちばん弱くてかわいそうな人は誰かというと、もちろん橋下氏の父親です。橋下氏の父親は被差別部落に生まれ育ちました。当時はまだきびしい差別がありましたから、橋下氏本人やその親族や、また朝日新聞関係者や佐野眞一氏らと比べると、橋下氏の父親がいちばんつらい人生を送ったことは間違いありません(だからこそ差別は重大な問題になるわけです)
 
ところが、多くの人の議論は、橋下氏の父親そっちのけで行われています。ひどいことに、橋下氏までがそうです。橋下氏は父親の生きざまを「僕とは無関係な過去」と言います。これは差別ではないかと私は主張しています。
 
橋下氏がそんなことを言うのは、父親がヤクザであったこともひとつの理由でしょう。しかし、もしそうだとすればそれはヤクザ差別というべきです。
ヤクザは、犯罪行為を罰されるだけでなく、存在そのものが法律で規制されるという妙な存在です。これは差別というしかありません。この差別は警察がつくりだしたもので、警察の方針が違っていればこの差別はありません(多少のヤクザ差別はもともとありましたが)
 
つまり、橋下氏の父親は部落差別とヤクザ差別という二階建てで差別されているわけです。
その上、もう亡くなっているので、ますます配慮されない立場です。
その結果、橋下氏だけでなく、おそらく朝日新聞社側も橋下氏の父親のことを無視して検証作業をするのではないかと案じられます。
 
ただ、佐野眞一氏は、橋下氏の父親のことを突っ込んで取材する予定でしたから、予定通りそうすれば、橋下氏の父親の名誉回復をしてくれるのではないかと思われます。というのは、その人間のことを深く知れば、その人間がその生き方をしたことの必然性がわかり、差別したり非難したりするべきではないとわかるものだからです。
その意味でも、佐野氏がするのか誰がするのかわかりませんが、橋下氏の父親についての取材は継続してほしいものです。
 
ところで、橋下氏の父親の立場になって考えると、見えてくることがあります。それは、橋下氏の母親の生き方です。
橋下氏の母親が被差別部落出身のヤクザ者と結婚して子どもをもうけたというのも興味を引くところですが、離婚してからは、幼い橋下氏に父親のことを否定的に言い聞かせたのでしょう。仲が悪くなって離婚したのだから当然のことです。しかし、その一方で、実家の姓に戻さずに「橋下」姓を使い続けます。嫌いな男の、被差別部落につながる姓を使い続けた理由はなんなのでしょうか。
 
佐野氏の連載は、本来はこのあと、「これまであまり触れられてこなかった氏の母親について詳細に書かれる予定だった」ということです。
 
もちろん橋下氏の母親は橋下氏に最大の影響を与えた人間です。佐野氏の連載継続が望まれます。
将来橋下氏が日本の総理大臣になったとき、タブーのために父親のことも母親のこともほとんどわからないというのでは、日本の恥になってしまいます。
 
 
ところで、私はとても気の弱い人間です。それでも部落差別問題について大胆な発言ができるのは、いちばん弱い人、いちばんかわいそうな人の立場に立って考えるというやり方のおかげです。このやり方をしていれば、「その発言は差別的だ」という反撃を受けることはまずないはずです。そのために自信が持てるのです。
 
私は大津市イジメ事件では、自殺した中2男子生徒の立場から考えるというやり方をしました。そして、もっぱら自殺した生徒の父親についての疑問を書き、反論というか罵倒のコメントもされましたが、自信があるのでぜんぜんブレませんでした。
 
気が弱くてあまり強く主張できないという人は参考にしてください。