山口県光市の母子殺人事件で死刑が確定した大月(旧姓福田)孝行死刑囚(31)の弁護団が1029日、再審請求をしました。殺害や強姦する意図はなかったとして、心理学者による供述や精神状態の鑑定書などを新証拠として提出するということです。
 
この事件は、死刑制度についての象徴的な事件になりました。大月死刑囚は犯行当時18歳ですから、通常は死刑にならないところですが、被害者遺族の本村洋氏が死刑を強く希望し、マスコミと世論が後押しし、一審と二審は無期懲役でしたが、差し戻し審を経て最高裁が死刑を確定させました。この過程で死刑賛成の世論が強化されたと思います。
それだけに死刑反対派の弁護士で形成される弁護団も意地になって、今回の再審請求をしたのかもしれません。
 
大月死刑囚については、一審判決が出たあと知人に書いた手紙というのがあり、検察は被告人に反省が見られない証拠として裁判所に提出しました。ウィキペディアの「光市母子殺害事件」の項目から引用します。
 
・終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
・無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す
・犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか
 
 
これを読む限り、相当なワルのようです。しかし、これはそこらへんにいる不良が書きそうなことです。大月死刑囚のような異常で残虐な事件を起こした人間の書くことにしては違和感があるなと私は思っていました。
 
最近、「殺人者はいかに誕生したか」(長谷川博一著)という本を読んだら、そのときの疑問が氷解しました。本書の「第四章 光市母子殺害事件 元少年」から一部を引用します。
 
これまでの彼の残した発言や記述には、まるで別人のものではないかと思わせるような「大人性」と「幼児性」が混在しています。精神機能のある側面は発達し、他は幼児の状態のままなのかもしれません。あるいはコンディションが大きく変わるためかもしれません。私への電報は理知的な大人の文言です。新供述の「復活の儀式」や「ドラえもん」は幼児に特有の魔術的思考そのものです。さらに、これらとは次元を異にする迎合性が顕著です。
彼のこの複雑な性格を理解しない限り、「かりそめの真意」は接する人の数だけ生まれるでしょう。そして各人がそれを「本物の真意」と信じ込んでしまうでしょう。少しでも誘導的なやりとりがあれば(言外の意程度であっても)、犯行ストーリーは変遷していくでしょう。残念ながら、誰にも犯行動機をとらえることはできないということです。
 
つまり大月死刑囚はつねに相手に迎合してしまう性格だということです。ですから、知人に出した手紙は、その知人が不良っぽい人なので、その人に合わせて書いたものなのでしょう。その手紙の文面を見ただけで大月死刑囚を判断してはいけないのです。
 
ところで、著者の長谷川博一氏は東海学院大学教授の臨床心理士で、東ちづるさんや柳美里さんのカウンセリングをしたことで有名かもしれませんが、池田小事件の宅間守死刑囚に面会したときは世間からかなりのバッシングを受けたそうです。
長谷川氏は大月死刑囚と多くの手紙のやりとりはしていますが、面会は一回だけです。長谷川氏は中立的な立場なので、弁護団から面会を止められたということで、弁護団にはかなり批判的です。
長谷川氏は、凶悪な犯罪者は100%幼児期に虐待を受けており、それが犯罪の大きな原因であるという考えの方です。
 
「殺人者はいかに誕生したか」から、大月死刑囚に関するところを引用してみます。
 
さて、光市事件の元少年は、どのような過去を背負っていたのでしょうか。弁護団の犯行ストーリーは保留しておくとして、家裁の調査などで明らかになっている生育史を整理することにします。
物心つく頃から、会社員である父親は母親に激しい暴力をふるっていました。彼は自然と弱い側、つまり母親をかばうようになり、そのため彼にも暴力の矛先が向けられました。小学校に上がると、理由なく殴られるようになりました。海でボートに乗っているとき、父親にわざと転覆させられ、這い上がろうとする彼をさらに突き落とすということが起きます。三、四年生のときには、風呂場で足を持って逆さ吊りにされ、浴槽に上半身を入れられ溺れそうになったことが何度かあります。
(中略)
小学校高学年頃から母親のうつ症状は悪化し、薬と酒の量が増え、自殺未遂を繰り返します。彼が自殺を止めたこともあり、彼にとって母親は「守られたい」けど「守りたい」存在でもあったのです。このように錯綜する相容れない感情をいだく対象が母親であり、ひどく歪んだ共生関係に陥っていたのです。
中学一年(1993)の九月二十二日、母親は自宅ガレージで首を吊って自殺しました。母親の遺体と、その横で黙って立っている父親の姿を彼は覚えています。「父親が殺したんじゃないか」との連想を打ち消すことができません。その後、彼自身が自殺を考えましたが、次第に「母の代わりを探す」という気持ちが取って代わります。何度か家出をしますが、自宅の押し入れに隠れていたこともありました。そこは生前の母親が暮らしていた部屋の押し入れで、「母親の面影や匂いを抱いてそこにいた」と語っています。
母親の死後三カ月で、父親はフィリピン女性と知り合い、その女性に夢中になりました。そして1996(被告人の高校一年時)に正式に結婚し、異母弟が誕生します。彼は義母に甘える義弟に嫉妬を覚えました。しかし、そんな義母も、実母と同様、父親から暴力を受け、暴力の被害者という点では同じ立場に置かれたのでした。
1999年四月に就職しますが、一週間ほど出勤しただけで、義母には隠して無断欠勤します。四月十四日、仕事の合間のふりをして家に戻って義母に昼食を食べさせてもらったあと、甘えたくなって義母に抱きつきました。「仕事に戻りなさい」と言われ、甘え欲求が高じた状態のままで家を出、同じ団地内を個別訪問する「排水検査」に歩き回ったのでした。
これが、まったく面識のなかった本村さんの家を訪れるまでの経緯です。
 
この事件において、殺された母親と子どもがかわいそうなことは言うまでもありませんし、妻子を奪われた本村洋氏も同じです。
それと比較するべきことではありませんが、犯人の大月死刑囚もまたとてもかわいそうな人です。なにしろ物心ついたときから家庭には暴力が吹き荒れていたのです。まるで地獄に生まれ落ちたようなものですが、彼はそういう認識はなかったでしょう。地獄以外の世界を知らないからです。
彼が人間としてまともでないからといって批判するとすれば、それは批判するほうが間違っているのではないでしょうか。
 
本村洋氏や母子のことは、マスコミはそのまま報道しますが、犯人がどんな人生を送ってきたかはほとんど報道されません。検察が公開した手紙は大きく報道されましたが、これは人間の全体像を示す情報ではありません。
 
死刑については賛成の人も反対の人もいるでしょうが、量刑を決めるときは、犯罪者がどんな人間であるかをよく知らなければなりません。そのことを知らないまま、というか知らされないまま死刑賛成の世論がつくられているように思います。
 
もっとも、裁判官は被告の生育歴を知っているわけです。それでいて死刑判決を出せる裁判官というのは、私にとっては不気味な存在です。
 
しかし、光市事件のときはなかった裁判員裁判制度が今はあります。幼児虐待の悲惨さを直視できる裁判員が死刑制度を変えていく可能性はあると思っています。