電車内で化粧することは是か非かという問題は、小さなことのようですが、これはすべてのマナーや道徳に共通することでもあるので、「電車内化粧問題」というエントリーに引き続いて、再び取り上げます。
 
具体的な迷惑がないのに、「それは見ていて不愉快だからマナー違反だ」と主張する人がいますが、この場合、その人の不愉快だと感じる感性や価値観は正しいのかという問題があります。
たとえば、「電車内で化粧をする人は羞恥心がない」と言って非難する場合、要するに非難する人と非難される人の羞恥心の感覚が違うだけで、どちらが正しいのかはわからないはずです。
 
自分の感覚が正しいと主張できるのは、その感覚が人間全般に共通する本能的、生理的な根拠を持っている場合だけです。そうした根拠がないのに「それはマナー違反だ」と主張すると、それは自分の感覚に他人は従うべきだという、たいへん傲慢な主張になる可能性があります。
 
こうしたことを書いていたところ、ちょうど朝日新聞11月4日朝刊に「電車内化粧 中三が考えた」という記事が掲載されました。漫画家伊藤理佐さんが書いた「やめなよ、電車内の化粧」という文章があって、それに対して多くの反響があったということをまとめた記事です。
 
朝日新聞に寄せられた投書は36通で、多くは伊藤さんに共感するものですが、「化粧より迷惑なことはたくさんある」「女性だけを責めている」などの反論も6通あったということです。
さらに、東京都大田区立羽田中学校からは3年生76人の感想が届き、ここでは「認める」派が3割超を占めたということで、「いいじゃないですか。迷惑にならないならOKです。公共の場だけど、自分の範囲だけのことなので」「家でする時間がないくらい忙しいんだと思う。その人が恥ずかしくないならいいんじゃないかな。私もしてみたい」といった意見がありました。
 
私は中学生のほうが容認派の比率が高いというところに注目しました。子どもほどまともな感覚を持っていて、おとなになるほど偏見が強くなるというのが私の考えです。
 
また、自分も電車内で化粧したことがあるという42歳の女性の意見もありました。
 
かつては「人前でするくらいなら、ノーメークでいればいいのに」と思っていたが、埼玉に住んでいたころ、約2時間の長距離通勤を経験して考えが変わった。夜遅くまで働き、睡眠は4時間。ゆっくり化粧できるのは電車内だった。「それぞれ事情があるので大目に見てほしい」
 
とはいえ、多くの人が電車内化粧に批判的であるのは事実で、これについて私は、化粧を人目にさらすと「女性は美しい」という“共同幻想”を壊してしまうからではないかと考えました。
とすると、この“共同幻想”はどれほど守る価値のあるものかという問題になってきて、これはむずかしくてなかなか結論は出ません。
 
ただ、一般論として言うと、私はマナーというのはできるだけ少ないほうがいいと思っています。経済の世界では、規制緩和をすれば経済が活性化して成長率が高まるということが言われますが、それと同じで、マナーを緩和して多様な生き方ができるようになったほうが社会が活性化すると思うのです。
 
人間性というものが基本的に変わらないことを考えると、マナーやルールをたくさんつくればいいというものではありません。人間はもっといい加減な存在として生まれついていると思います。