「差別的」であるとして連載が中止になった佐野眞一氏の週刊朝日掲載「ハシシタ 奴の本性」第一回はなかなかおもしろい読み物で、佐野氏が9月12日の「日本維新の会」の旗揚げパーティに出席して、会場の人間に取材していると、阪神タイガースの野球帽をかぶり、リュックを背負った老人と出会った話が書かれています。
老人は90歳だということで、名刺には「なんでもかんでも相談所 所長」と書かれ、裏には「家訓 男は珍棒 女は子宮で 勝負する」と書かれています。老人は橋下徹氏の出自について差別的なことをしゃべりまくりますが、そのあとの部分を引用します。
 
ところで、会になぜ参加したんですか。本題の質問に移ると、またまた頓珍漢な答えが返ってきた。
「今の政治家は誰も戦争を知らん。だから橋下を応援しとるんや」
橋下も戦争を知りませんよ。そう言おうとしたが、「男は珍棒 女は子宮」と信じて疑わないおっさんが、橋下なら中国、韓国と戦争してくれると言おうとしていることに気づいて、それ以上聞くのはやめた。
いかにも橋下フリークにふさわしい贅六流のファシズムだと思った。
 
この90歳の老人が戦争を望んでいると結論づけるのは必ずしも正しくはないと思いますが、ありえないことではないと思います。
 
若い世代が戦争を望む心理については、フリーライターの赤木智弘氏が「希望は戦争」という言葉で表現しています。赤木氏によると、将来にまったく希望の持てないフリーターや派遣などの若者にとっては、戦争が起こって社会が流動化することがチャンスだというわけです。
 
では、老人が戦争を望む心理はどうなっているのでしょうか。私の父親はもう亡くなりましたが、もし生きていれば95歳です。この父親が戦争関連の本をいっぱい持っていました。戦争物は子どもが読んでもけっこうおもしろいので、そのため私もへんに戦争通になってしまいました。
父親は大学工学部を出て海軍に入り、技術将校として呉や横須賀に勤務し、外地に行ったことはありません。空襲でもそんな危険な目にはあわなかったようです。内地勤務の海軍将校というのはきわめて恵まれた生活だったようで、毎日ビールを飲んでいたと言っていました。また、そのころは女性にもてたということもよく自慢していました(実際、当時の海軍士官は女性の憧れの的だったようです)。戦後は技術者として中小企業に勤務していましたから、もしかして父親が人生でいちばんよい思いをしたのは海軍時代だったのではないかと思われます。
父親は戦争を望んでいるということはなかったと思いますが、戦争の悲惨さを体験していないだけに、戦争に負けたことが納得いかないという心理はあったのでしょう。戦争関連の本をよく読んでいたのもそのためではないかと思います。
 
中曽根康弘大勲位は海軍主計将校でした。乗っている艦が被弾するという経験もしたようですが、主計将校は基本的に戦闘には参加しませんし、業者から接待される立場ですから、技術将校以上に恵まれています。中曽根氏がずっとタカ派政治家であったのは、やはり戦争中にいい思いをしたからではないかと思います。
 
野中広務元自民党幹事長は、戦時中は兵卒でした。内地にいて戦闘経験はないようですが、軍隊で悲惨な思いをしたに違いありません。政治家としてはずっとコワモテでしたが、戦争反対の姿勢は一貫していました。ウィキペディアの「野中広務」の項目によると、しんぶん赤旗のインタビューを受けたことについて、「政治の最大の役割は戦争をしないこと。『戦争反対』であれば、どんなインタビューでも受けますよ」と語ったということです。
 
石原慎太郎前東京都知事は、父親が商船三井の前身の山下汽船に勤務して、関連会社の重役にまで出世し、戦時中に住んでいたのは山下汽船創業者の別邸だったということで、戦時中の食糧難など知らない恵まれた生活だったようです。もし石原氏が平均的日本人のように飢えを経験していたら、タカ派政治家になることはまずなかったでしょう。
 
戦時中、日本人のほとんどは悲惨な目にあいましたが、少数ながらいい目にあっていた人もいて、そういう人の戦争に対する態度は普通の日本人とは異なっています。佐野氏が出会った90歳の老人もその類の人だったのでしょうか。
 
その人が橋下氏に期待するのは正しいといえるかもしれません。橋下氏は週刊朝日と佐野氏との喧嘩のやり方を見てもわかるように、喧嘩上手な人ですから。
 
戦争を経験した世代でも、戦争を希望する人がいます。今の世代で戦争を希望する人はもっと多いでしょう。
 
そもそも男性は女性のようには、自分の子どもが自分の子どもであるという確信が持てません。そのため、自分が死ぬことの虚しさは女性以上で、それから逃れるために、自分の死をなんとか粉飾しようとしてきました。「名誉の戦死」はその最たるものです。
 
「名誉の戦死」を間近に見る時代がやってきたようにも思えますが、「名誉の戦死」というような粉飾がいつまでも通用するはずがありません。
戦争についての認識を深めることが戦争を回避する最良の手段です。