竹中平蔵慶応義塾大学教授の存在感が再び増しています。日本維新の会の橋下徹代表代行のブレーンですし、日本維新の会の公募候補者選定委員長も務めています。また、自民党の安倍晋三総裁のブレーンでもあり、安倍総裁は次期日銀総裁に竹中氏を起用するのではないかとも言われています。
 
私自身は竹中氏について、小泉政権時代に不良債権処理をやったことについては評価するべきだし、規制緩和も基本的にはよいことではないかと思っていました。しかし、「東洋経済オンライン」の竹中氏のインタビューを読んで、トンデモ思想の持ち主だということがわかりました。
 
竹中平蔵()「リーダーは若者から生まれる」
 
このインタビューは、リーダー論を語っていることもあって、政治的な発言が多いのですが、なにを語るにしても、その根底には経済学者としての見識がなければならないはずです。しかし、こういう発言はどうなのでしょうか。
 
私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。
 以前、BS朝日のテレビ番組に出演して、堺屋太一さんや鳥越俊太郎さんと一緒に、「もっと若い人たちにリスクを取ってほしい」という話をしたら、若者から文句が出てきたので、そのときにも「君たちには貧しくなる自由がある」という話をした。
 
「みなさんには貧しくなる自由がある」はまさにトンデモ発言です。あまりにもトンデモなので、多くの人はどう反論していいのかわからなくなるかもしれません(それが竹中氏の狙いでしょう)
 
もしかして竹中氏は、「人間は自由の刑に処せられている」というサルトルの言葉を参考にしたのかもしれません。しかし、竹中氏が言っているのは人間の経済活動に関してですから、サルトルの実存主義思想とはなんの関係もありません。
 
経済学は「経済人」ないしは「合理的経済人」という人間観を土台にした学問です。つまり人間は損と得があれば得を選択するものだということが前提になっています(今は経済的に不合理な行動についても研究されていますが、それも進化生物学的な合理性が想定されています)
人間は貧乏になる自由や権利があっても、みずから貧乏を選択することはないのです(一部に破滅的な生き方をする人はいますが、そうした人は人格形成の問題や極度にストレスのかかる状況から必然的にそうするのであって、決して自由や権利を行使しているのではありません)
 
竹中氏は貧困国を見たとき、「この国の人は貧しくなる自由を行使しているなあ」と思うのでしょうか。あるいは、失業率のグラフを見て、「今月は先月より失業する自由を選択する人が増えたのか」と思うのでしょうか。
 
また、「頑張って成功した人の足を引っ張るな」という発言もひどいものです。経済行為の中にモラルを持ち出し、しかもそれを成功していない人にだけ求めているからです。
 
昔の経済学者には、世の中の貧困をなんとか解決したいと思って経済学を志した人が少なくありません。河上肇もその一人で、貧乏についての研究を「貧乏物語」として著しましたが、まだマルクス主義の影響を受ける前で、貧乏の解決を富裕層のモラルに求めたところが甘いと批判されました。
竹中氏はちょうど河上肇の真逆をいっているわけです。富裕層がより豊かになることを貧困層のモラルに求めています。
 
竹中氏の考えは経済学とはまったく関係ありません。新自由主義という政治思想というべきでしょうが、これは政治思想としてもお粗末です。
 
とはいえ、アメリカではこうした考えが広く存在するようです。先の大統領選のときに共和党のロムニー候補は、富裕層に選挙支援を求めるパーティにおいて、「何があってもオバマ大統領に投票する人が47%いる。彼らは政府に頼り、自らを犠牲者だと思い、所得税を払っていない」とした上で、「彼らの心配をするのは私の仕事ではない」と述べました。竹中氏はこうしたアメリカ的な考えをそのまま受け入れているのでしょう。
 
竹中氏はタフでディベート力もありますが、こういうトンデモ発言が野放しになっているのはいただけません。