総選挙と同時に最高裁判所裁判官の国民審査が行われますが、世の中にこれほどインチキな制度はないでしょう。総選挙に投票するつもりで投票所に行ったら、選挙区投票用紙と比例区投票用紙のほかにもう一枚の紙を渡され、よくわからないので何も書かずに投票箱に入れたら「信任」と見なされてしまうのですから。
 
国民審査が総選挙と同時に行われるということは日本国憲法で決められています。
 
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
○2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
 
三権分立からすれば、最高裁判所裁判官の国民審査と国会議員選挙は同じ重みのものとして、それぞれ別に行うべきです。憲法がもうすでにインチキとなっています。
そして、法律がそのインチキの仕上げを行います。
 
最高裁判所裁判官国民審査法
第十三条(投票の時及び場所)  審査の投票は、衆議院小選挙区選出議員の選挙の投票所において、その投票と同時にこれを行う。
 
第十五条(投票の方式)  審査人は、投票所において、罷免を可とする裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し、罷免を可としない裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで、これを投票箱に入れなければならない。
 
不信任に×をつけて、信任にはなにも記入しないというやり方は大いにおかしいといえます。本来は「信任・不信任・棄権」の三択であるべきなのに、「信任・不信任」の二択しかなく、棄権がみんな信任にカウントされてしまうからです。
たとえば今回の国民審査の対象となる裁判官は10人ですが、無記入のまま投票箱に入れると10人全員を信任したことになりますし、ある1人の裁判官を不信任にしたいということで1人に×をつけて投票すると、残りの9人は信任したと見なされます。
 
 
最高裁判所裁判官の国民審査のおかしなところをまとめると、次のようになります。
まず総選挙といっしょにやることで、必然的に国民審査のほうが埋没してしまいます。
総選挙は今回のように突然行われるというのがむしろ普通です。そうすると、国民審査の対象となる裁判官がどんな人物でどんな判決に関与したかということを周知させることができません。
どうせ国会議員選挙と同時にするのなら、総選挙ではなく参議院選挙と同時にしたほうがいいはずです。参議院選挙は3年に1度と決まっていますから、周知期間も十分にとれます。
 
そして、投票所では全員に国民審査の投票用紙が渡されます。ほとんどの人は総選挙のことだけを考えて投票所に来ます。そういう人に投票用紙を渡して投票させ、白票は全員信任と見なし、何人かに×がついていてもそれ以外の者は信任と見なすというわけです。
これではどの裁判官も圧倒的に信任されてしまいます。
 
前回、2009年8月の国民審査は不信任率が平均7%程度です。
過去、もっとも高い不信任を受けた裁判官でも15.17%です(197212月の下田武三裁判官)
 
これまでには全員に×をつけようという組織的な呼びかけが行われてきましたが、それでもこの程度です。
特定の裁判官だけ不信任にしようという呼びかけも行われ、その結果、特定の裁判官だけ有意に高い不信任率になりましたが、それもわずかな数字の違いでしかありません。
 
こういうインチキな制度に抗議するために国民審査の投票を棄権しようという呼びかけも行われました。当然棄権することはできます。
しかし、私は一度、棄権すると言ってその場で投票用紙を返したことがありますが、そうすると「選挙のお知らせ」とかいう自宅に郵送されてきた紙を見せてくれというのです。そして、そこに書かれている私の名前か番号をメモしようとしたので(あるいはその紙に印をつけようとしたのかもしれません。昔のことなので記憶が曖昧)、「なぜそんなことをする必要があるのか」と拒否しようとしましたが、なんだかんだと理由を言われて、メモされてしまいました。
棄権すると、自分が棄権者であると記録が残されるということは、心理的なプレッシャーになります。棄権者数を記録することは必要でしょうが、誰が棄権したかを記録する必要はないはずです。こうしたやり方も大いに疑問です(追記・16日に「棄権します」と言って用紙の受け取りを拒否したら、すんなりと通りました。いったん受け取ったので面倒なことになったようです)。
 
ともかく、最高裁判所裁判官の国民審査は、棄権を信任と見なすことによって決して裁判官が罷免されないというインチキな制度になっています。
日本国憲法の細部を決めたのは司法関係者だと思われますが、憲法の段階から自分たちが不利にならないように仕組んでいたのです(総選挙は政治の世界の最大のイベントですから、それと同時にやれば絶対国民審査のほうが埋没してしまいます)
恵まれた環境で育った頭のいい司法関係者は有利に立ち回り、恵まれない環境で育った頭の悪い犯罪者を投獄しているというわけです。犯罪者が単純な悪だとすれば、司法関係者は高度な悪です。
 
今回の総選挙は、一票の格差が「違憲状態」で行われます。これについてマスコミはもっぱら政治家のほうを批判しています。しかし、最高裁が政治家になめられているわけですから、なめる政治家も悪いですが、なめられる最高裁裁判官のほうも悪いのです。最高裁裁判官は自己保身を第一にして、世の中に波風を立てるような判決はまず下しません。
最高裁は自衛隊違憲判決も下しませんでした。そのためやむなく政治家同士が合憲・違憲を議論して、むだな時間を費やしています。
 
今回の総選挙について、どこに投票しても大して変わらないと思う人が多いでしょう。それは最高裁裁判官を頂点とする官僚組織が聖域ないしはブラックボックスに入っているからです。
 
ともかく、総選挙に行く人は、国民審査についてはまったくインチキな制度であることを理解した上で投票行動を決めてください。
 
それから、憲法はすぐには変えられませんから、最高裁判所裁判官国民審査法のほうを少なくとも「信任に○、不信任に×、棄権は無記入」という投票方式に変えるべきだと思います。