1214日、アメリカのコネティカット州の小学校で銃の乱射事件があり、26人が死亡、犯人の男も自殺し、犯人の自宅では母親が殺されていました。
この事件を契機に、アメリカでは銃規制についての議論が高まっているということです。
 
それにしても、銃の乱射事件はどうして学校でよく起きるのでしょうか。映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」のもとになったコロンバイン高校銃乱射事件、33人が死んだバージニア工科大学銃乱射事件などが有名ですし、日本では銃ではなく刃物ですが、犯人宅間守が8人を殺害した池田小事件、17歳少年が3人を殺傷した大阪寝屋川中央小事件などが思い浮かびます。
 
これらのことを検索していると、「スクールシューティング」という言葉のあることがわかりました。学校での無差別殺人事件のことを指す言葉で、こういう言葉があるということは、この手の事件がいかに多いかということを示しています。
また、スクールシューティングはアメリカに突出して多いという特徴があります。
 
「スクールシューティング」(ウィキペディア)
 
無差別殺人事件を起こす人間というのはおそらく世の中全体に恨みを持っているのではないかと推測されますが、そうであるなら繁華街やその他の場所で無差別殺人をやってもいいわけです。学校を標的にするのはそれなりの理由があるはずです。
 
コネティカット州の小学校での事件の容疑者についてはこのような報道があります。
 
米小学校銃乱射、高校時代の容疑者は内気な優等生母親は銃収集家
 【サンディフック(米コネティカット州)】高校時代のアダム・ランザ容疑者は、やせっぽちで読書好きの優等生で、非常に内気でクラスメートとの付き合いもほとんどなく、存在感の薄い生徒だった。元クラスメートのほとんどは、米国史上最も凄惨(せいさん)な銃乱射事件の1つの容疑者として名前が浮上しても、思い出すのに一苦労だった。一部には、ランザ容疑者はニュータウン高校を中退したか、引っ越したと思われていた。
 
 だが、20歳のランザ容疑者は、ニュータウンを離れてはいなかった。銃乱射事件後に広く報道された、同容疑者を鮮明に記憶している数少ない人たちが描く同容疑者の人となりは、感情的にゆがんだ孤独な青年で、黒い洋服を時々身に着け、行動は自らのコミュニティーの狭い範囲に限られていたというものだ。
 
 ランザ容疑者は52歳の母親、ナンシーさんと暮らしていた。同容疑者は14日、自宅で母親を撃ち殺し、そのあとにサンディフック小学校に向かい、20人の子供を含む26人を殺害し、自殺したとみられている。
 
 外部からはランザ容疑者の生活は特に問題ないように見えていた。同容疑者と母親のナンシーさんは高級住宅街ベネッツファーム近くの手入れの行き届いた家に住んでいた。警察に一時容疑者と誤認されていた24歳の兄、ライアンさんは近くのクイニピアック大学に進学し、その後会計事務所アーンスト・アンド・ヤングで働くため、ニュージャージー州ホーボーケンに引っ越した。
 
ナンシーさんの友人によると、ナンシーさんは銃の収集家で、射撃にも熱心だった。地元の造園家で、ランザ家の敷地の手入れも請け負っていたダン・ホームズさんによると、ナンシーさんはとても自慢にしている収集品の1つである古い銃をホームズさんにみせてくれたことがあるという。
 
 ホームズさんは、ナンシーさんと息子たちは「よく連れだって的撃ちに出掛けていた」と語った。
 
 ナンシーさんを知ると話す地元の作家で音楽家のジム・レフさんは、銃撃事件後、自らのブログにナンシーさんは「大の銃好き」だったと書いている。
 
 ランザ容疑者の今は亡き祖父と結婚していたメアリー・アン・ランザさんは、ランザ一家は「素敵な家族」で、ニューイングランド地方に住む親族らとも親しくしていたと語った。
 
 だが、一家には困難な時期があった。メアリー・アン・ランザさんによると、ランザ容疑者の両親は長年別居しており、2009年に離婚したという。
 
 米GE傘下のエネルギー投資会社エナジー・ファイナンシャル・サービシーズに勤める父のピーター・ランザさんは社交的な人物だったが、ナンシーさんは「非社交的」だったかもしれない、とメアリー・アン・ランザさんは語った。
 
 
また、こんな報道もありました。
 
容疑者は高校時代、母親から勉強するよう執拗(しつよう)に言われていたといい、警察当局が犯行動機を調べている。両親は離婚し、母親のもとで暮らしていた。
 
 容疑者は高校時代、成績優秀で、「天才」と振り返る友人もいる。内向的かつ神経質で、フォーマルな服装を好んだといい、学校ではビデオゲームで遊ぶクラブに所属していたという。
 
20歳の内向的な若者にとっては、家庭と学校が生活の場のすべてだったといってもいいでしょう。母親を殺し、学校を襲ったというのは、容疑者にとっては自分の生活のすべてを否定したかったということになります。そのあと自殺したというのも当然でしょう。
 
こうした事件を見ると、その原因は家庭と学校にあることが推測できます。
 
たとえばアメリカではゼロ・トレランス(無寛容)という教育法を取り入れる学校がふえています。ゼロ・トレランスというのは、あらかじめ学校が規律と懲戒規定を明示して、それに違反した生徒は例外なく処分するというやり方です。こうしたやり方が受け入れられる土壌がアメリカにあるということであり、それとスクールシューティングが突出してアメリカに多いということは当然関連していると推測できます。スクールシューティングの犯人はまさに無寛容の人間だからです。
 
ですから、対策としては家庭と学校をよくすればいいということになります。
しかし、議論はそういう方向には行きません。まず銃規制の問題が改めて取り上げられています。それからいつものようにコンピュータゲームの影響が論じられているそうです。
 
銃規制は、しないよりはしたほうがいいでしょうが、それは本筋ではありません。池田小事件のように刃物でもできるからです(とはいえ、銃規制ができないところにアメリカの病理があって、これはゼロ・トレランスともつながっています)
 
日本では、子どもが自殺したとき、すぐイジメが原因ではないかと取り沙汰されます。これも家庭と学校という本筋から離れた議論です。
 
では、家庭と学校をよくするにはどうすればいいのでしょうか。
家庭の問題は複雑ですが、ひとつだけ簡単にできることは、子どもに「勉強しろ」と言わないことです。これだけで子どもは大きなプレッシャーから解放されます。
学校でも、勉強は子どもが自発的にするものだという前提で、子どもに教えるようにすればいいのです。
 
そもそも子どもに「勉強しろ」と言うことは、子どもの自ら学ぶ権利を冒すことで、子どもの人権を無視した行為といえます。
 
勉強すなわち「学習の強要」が人権無視だというのは、たとえば奴隷制社会を考えてみればわかるでしょう。
古代ローマ帝国で、土木建築工事が予定通り進まないとなれば、「10時間労働制をやめて12時間労働制にせよ」という命令が出されるでしょう。奴隷の技術がないために工事が進まないとなれば、「奴隷に土木建築技術を学ばせよ」という命令が出されるでしょう。といっても、学ぶ気のない奴隷もいます。ですから、「試験をして、成績の悪い奴隷はムチ打ちの刑にせよ」という命令も同時に出されるはずです。
 
現在の学校制度も、基本的にはこれと同じ仕組みです。社会の必要に応じて子どもに「学力」をつけさせることを目的としています。子どもの能力も個性も意志も無視しています。
 
学校制度を奴隷制方式から転換すれば、スクールシューティングすなわち学校内無差別殺人事件は大幅になくなるはずですし、子どもは幸せになり、そしておとなも幸せになります。