もうクリスマスになり、1年が終わろうとしています。世の中の動きは目まぐるしいものです。政治の世界では、この前までは日本維新の会が台風の目でしたが、今は安倍政権に注目が集まっています。
ということで、今日も安倍政権について書こうと思ったのですが、クリスマスにはふさわしくないと思い直して、政治の話はやめます。
 
もっとも、クリスマスといっても、昔の日本ではドンチャン騒ぎをしていました。最近のクリスマスは欧米化されて、そのため正月と変わらなくなっています。クリスマスと正月の関係については、1年前に書いた記事を参照してください。
 
「クリスマスはドンチャン騒ぎ」
 
日常の原理とクリスマスの原理はまったく違います。それはたとえば、子どもとサンタクロースの関係を考えてみればわかります。
 
小さな子どもは、サンタクロースの実在を信じています。というか、親が信じさせるようにふるまいます。そして、子どもがクリスマスのプレゼントはサンタクロースではなく親が持ってくるのだということを知り、サンタクロースの存在を信じなくなると、親は残念がります。
これは当たり前のように行われていますが、よく考えてみるとへんです。子どもが間違った認識を持っていることを喜び、正しい認識を持つようになると残念がるのですから。
 
なぜこんなことになっているかというと、ひとつには、子どもがいつまでも子どものままでいてほしいという気持ちがあるからです。それは親にとって今の親子関係が幸せで、子どもが成長していくとこの幸せは失われていくということでもあります。
そして、もうひとつは、子どもは親が教えなくても(というか、親が間違ったことを教えても)成長とともにみずから正しい認識を持つようになるだろうという子どもへの信頼があるからです。
 
つまり、子どもとの現在の幸福な関係と、いずれ子どもは自力で正しい認識を持つようになるだろうという信頼があるから、親は子どもがサンタクロースの実在を信じていることを喜ぶのです。
 
これがクリスマスの原理だとすると、日常の原理はまったく逆です。
親は子どもの言葉が遅いのではないかと心配し、おむつを早く取ろうとし、習いごとの上達が早いと喜びます。また、子どもを放っておくとテレビやインターネットや友だちなどから間違った知識を持ってしまうのではないかと心配し、正しい知識を教えなければならないと考えます。
 
なぜ日常の原理とクリスマスの原理が逆になるのかというと、要するに日常生活では親は子どもを教育・しつけしようとしているのです。このもとには、教育・しつけをしないと子どもは悪い方向にいってしまうという考えがあり、これは子どもへの不信感といえます。
しかし、クリスマスのときは伝統的な親子関係のあり方に戻り、教育・しつけということを忘れてしまい、子どもへの信頼を取り戻すのでしょう。
 
ちなみに正月のときは子どもにお年玉を上げますが、これもクリスマスの原理と同じです。最近はここに日常の原理を持ち込んで、子どもにたくさんのお年玉を渡すのは教育上よくないと主張する人がいますが、これも子どもへの不信感に基づく主張といえます(子どもを信頼していれば、年齢にふさわしくない金額をもらっても、子どもはそこからまたなにかを学ぶだろうと考えることができます)
 
子どもを教育・しつけしなければならないと考えるのは、親にとっても子どもにとっても不幸です。
クリスマスと正月をきっかけに、親子関係を見直してみるのもいいのではないでしょうか。
 
ところで、政治の話がクリスマスにふさわしくないのは、政治の世界というのは結局は戦いであり、不信感のぶつかり合いだからです。
クリスマスと正月をきっかけに、政治の世界のあり方も見直してみたいものです。